3回にわたって掲載してきました宮澤有斗さんのインタビュー、
今回が最終回です。陶芸家として器そのもの、また器を作ることに関してどのような
思いを抱いているのかをお聞きしました。
―関わる人にゆだねるという提示の仕方は現代アートのありように似ているようにも
感じますが、工芸・陶芸だけでなく現代アートからも影響をうけているんですね
そうですね寄り添っていくというか、作家の存在は後から出てくればいいかなという主張のなさ。そういう空っぽさへの感覚に気づけた大きな要因が現代アートのインスタレーションです。こんなそっけないというか、ふんわり入っていくほうがよっぽど人は深くかかわれるんだと気づけました。
関わりたい、というのが強くあって、最初帰ってきて何やろう、と思ったときなんでもなくってなんでもあるという人と深くかかわれる方法をすごく意識しました。常識にとらわれていない自由感、空気感に面白さを思えたのもあります。
それに気づいたきっかけは学生の時に小口木版をしていた知人がアンディ・ウォーホール(※1)が好きなんだと言った時です。その時僕は現代アートっていう世界も知らないし、どんな人って聞いたらこういう工芸的な世界じゃないんですよね。
それで視野が広がったというか、こんな世界があるんだってワクワクしたというか。そんな興味が出てからドナルド・ジャッドとか、ミニマルアート(※2)とか、引いていく面白さっていうのがわかったんです。
その時はその意味がわからなくて。そのままずっと消化不良のまま大学は卒業して、わからないなりにオブジェ的な作品も作っていたんです。ただこのときは、漠然とやっていたような気がします。
ただ今僕がつくるものとしては現代美術にはなぜかリアリティがなくて、現代美術の制作をしようという方にはいかなかったんです。興味はあったけれど、やっぱり土からは離れられなかった。オブジェを作るにしてもやはり土で作っていたし。おそらくそれはやっぱりぐっと押したときの反応や触れている感覚を大事に思っているからだと思います。そこは何か切り離せなくて。
―大黒屋には菅木志雄さんなどの現代アートをたくさん置いていますが
それらは入る当時から知っていましたか?
いえぜんぜん。実はもの派をまったく知らなかったんです。だから初めて大黒屋で見た時わからないし、ポカンとしてしまいました。それこそ素材の重みみたいなものを見てきたので、素材を羅列することで常識が形骸化して、形骸化したものが周囲にとけこんでいくことが驚きだったし、いいなあと思いました。最初わからなかったけど、だんだんと関係性、見えなかったものに目を向けていくととっても好きな世界だったというか。
―現代美術に影響を受けたのち、かつて彫刻やオブジェのような作品も制作されて
いましたがあえて今はそれらをほとんどせず、器を中心に制作する理由は
なぜでしょう。
「器」というものはあいまいさがあるんですね。
実はもともと、オブジェを作っていた時は「ファインアート」というものにすごくコンプレックスがあったんです。自分のやっていることは「ファイン」ではないと。ただ、いま考えてみると、ファイン=純粋じゃなくていい、むしろこの雑味の部分が面白い、あいまいなもののほうが面白いなと大黒屋の経験から感じました。
だから今は自信をもって器というものを提示できるというものになった。そしてこれは現代美術にはない世界。触れたりとか、使ったりとか、いろんな状況のなかで、動く中で存在しなきゃいけないという。これはすごい陶芸の強みだし、器であるということが、自分の美意識にもずれることがなくて。すごいすんなり入っていくことができた。大黒屋に行く前はすごくコンプレックスだったんです。器を作るということに関して。だからこれは関係性の美しさをしったからですね。これも美しいんだ!っていう。
器といえば用の美っていうところがあるけれども、結局それって分けていると思うんです。用、と美というものを。本当はいっしょなんだと思いますが。美の中からも用は見つけられるし。用の中からも美はあるし、分けることでもないって。それこそ無用の用といった例え話に器が出てくるんです。用があるというのは、必要でないものがあるから用で、そもそも器からはじまっているんだと今思います。
―大黒屋を出た後、お父さんの工房がある益子という場を選びましたね。
それは良い点と大変な点があると思いますが、益子を制作の場に選んだのは
なぜでしょうか?
父親がやっぱり益子にすんで40年いたってことがやっぱり大きいですね。父がいたからこそ焼き物を知ることができたし、父が選んだ場だから益子に興味があるし、父がいるから僕がいるという事。結局それがぼくどうしても割り切れないところであって、益子っていうところになにかあるんじゃないかってやっぱりそこに帰ってくるんです。
実は今考えている「なんでもなくてなんでもある」ような部分で、民芸の中に「アノニマス」(※3)=無名性という概念があるんです。最初は全く興味のなかった世界なんですが、帰ってきたらなんか面白そうだなって。いまはそういう意味でも益子が興味深いですね。
―益子に帰ってきて、これまでに展示した場に有名な益子の陶器市がありましたが、
どうでしたか?
益子の中心部城内坂通りを歩く
自分の想像以上に人が多く訪れていることに驚きました。多くの人の目に触れるのはうれしい反面、怖さも感じましたね。情報の速さに自分も流されてしまうんじゃないかなあと。
でも僕が陶器市で嬉しかったのは、同じような器をならべて一生懸命悩んでいる方がいること。どっちにしようかな、いやこっちもいいなって。あんなに数がある中で、ましてや今回初めてこんな無地の、なんでもないようなものを出して。それをじっくり見ているというのがすごくうれしくて。見てくれる人がいるんだということが。
それは陶器市の中で無視しちゃいけないと思ったし、器への興味・関心の入り口として一概に怖さを感じるだけでなく、良くも悪くもいい経験ができたなと思っています。
-大黒屋で展示をするにあたって、考える事はありますか?
今回はすごくいいチャンスをいただいたと思っていて。来ているお客様が朝から晩までの暗い時明るい時、一日を通して楽しめるので。自然光が入った時と人工的な電気の光の中ではまた違う表情を見てもらえると思うし、今回はそのさまざまな状況での物の見方を意識して作ったのですごくありがたい展示だなと思っています。
また、作品をみながら外を見れる状況にはしたい、そういう空間を作りたいなあと思っていて。焼き物の展示で「隙間」とかを作れるのは羅列していくという事だと思うので。そこで見せていけたらと思っています。
あと、銀彩の作品はこれからだからっていうのもあります。凹凸が、荒いものに当たると出っ張っている所が削れてその人の生活の身体性だとか、使い方とか、そのものが出てくる。これらもどんどん変わっていくんです。だから、持ってもらいたいです、ぜひ。みなさんでその余白を楽しんでもらいたい。
-一度大黒屋に場所を移すという転機をつくられたわけですが今後どのように作家活動を
つづけていきたいと思いますか?
もし大黒屋にいかなかったら、たぶん流されるように流されていたと思います。ストレートにずっと前のやり方をやっていたでしょうし。しょうがないっていう言葉が出てきちゃっていたと思います。
「しょうがない」と「めんどくさい」というそのふたつはいま本当にできるだけ言わないようにしています。言うときは本当に考えて考えて悩み続けて、最後に出た、言葉にしたい。悩み続けたい、考え続けたい、創造的でいたいというか。
それでこそこれからや今が出てくると思うし。それは大黒屋で社長がおっしゃっていた事で、それを楽しんでいた作家さんもいたんですよね。その悩む事、ワクワクする事を楽しむということ。そこに楽しさがあるっていう事は勇気をもらえました。
成長していく、創造的であるということは大変なことではあるけれど、まさにほんとうに、そうでいたい。
(※1)アンディ・ウォーホル 1928-1987
イラストレーターを経てアメリカのポップアートの先駆者となった現代アートを代表する作家の1人。大衆的に流布するイメージをシルクスクリーンで複製するなど、大衆社会を反映する工場制を反映する作品を制作。
(※2)ミニマルアート
1960年代を中心とした抽象美術の動向の1つ。装飾性を排し、要素を最小限までそぎ落としたシンプルな形・色で表現する彫刻・絵画など。代表的な作家にドナルド・ジャッド、フランク・ステラ、リチャード・セラなど。
(※3)アノニマス
「匿名」を意味する英語。工芸の分野では作者や制作者のわからないものを意味する。民芸運動の中で、人々が日常生活に使用してきた生活雑器を無名の職人=アノニマスな作品として美を見出す傾向が生まれた。
宮澤有斗さんの在廊日は毎週末です。
もっと詳しいお話を聞きたい方、ぜひ器に触れてみたい方、8月18日(金)20:00〜
アーティストトークがございます。
ぜひお運びくださいませ。