2016年2月9日火曜日

今井貴広インタビュー 第2回「人間、自然、文明ー制作の根底にあるもの」

先日から掲載しております今井貴広インタビュー第2回。
今回は作品の背景にあるキーワード「人間、自然、文明」、
そして美術に関してお話を伺いました。



―そこにある必然的な状況に反応する、あるいは対応するというスタイルで
 制作を行うのはなぜでしょう?

 世の中こうなってほしい、こういう考えを持ってほしいという主張付きの
表現ではなくて、逆にどんな状況になっても対応できるという考え方を
提示したいという事があります。社会やシステムがどうなってもどうにか
対応するという臨機応変さ。個人も社会も、常に状況は変わっていくけれども、
それに反応する力があれば問題じゃないんじゃないかと思うんです。


 この「応」には良し悪しもあると思っています。欧米で生まれたもので日本が
その技術を取り入れて、その結果として日本各地で原子力発電所というものが
あります。日本はもともと自然災害が多い国で、場所が場所だけに予想外の事が
起こったりする。結果論で申し訳ないんですが、もともと日本では適さない技術
だったんだ、場所が合っていなかったんだという事故を生んでしまいました。
そのように空間に無理やり押し込む、そうすると作品でも成立しない瞬間というのは
やはりあるなという感じがします。


 都市部から離れれば、自然の力を利用した生活が残っている―共生していると
いうようなところはあると思います。たとえば染めものをするのに川で流すのも
知恵で、水道水と違って川でさらすとマグネシウム分が付着して固着につながります。


 それは必然的な状況の力を借りているという事で、そこには僕の言う魅力的な
反応と知恵の姿があります。何かに反応するっていうことは力を利用するという
言い方もできると思いますが。そういう力を利用した営みみたいなものの良さに
文明に依存しながらも今もなお自然への介入を切り離せない人の中間的な姿が
残っていると思います。



―「必然的状況」=自然、と人間と文明の相関関係に目を向けたのはなぜでしょう


from edge Tokyo 2009

 from edge」という作品の頃から、文明に対しての環境のようなことは考えて
いました。二元論のような考え方があって…まず、大学入ってすぐ読んだ風景学の
(※3)から日本と西洋の庭園の違いについて気になって。本に紹介されていたのは
直線で区切られたブロックの中に花が植わっていたり、中心に噴水があったりする
西洋の庭園と、逆に日本には借景のように状況に合わせてつくられる構造の庭で。
そこは人間中心主義が栄えた西洋と自然を相手にしてきた東洋の違いだと。

その庭園の違いの気付きから、状況に反応して作られる「もの」―や文明を
考えてしまうようになって、今に至るベースになっているのかなと思っています。



―今井さんの感じる文明の発生の姿とはどのようなものでしょう?
from edge」は都市環境を扱ったもののようですが

 「from edge」は虫が葉を食べて出来るぎざぎざや穴のあいた状態と東京湾沿岸の
形を重ね合わせたイメージの作品です。これは文明の発生が河川に依存していると
いう事から想起していて、町のあるそれぞれの都市にはその定住のわけがあるんですね。
ですが、都市計画で作られた町はよく碁盤の目と呼ばれるグリッド状になっている。
 東京は比較的、曲線の道が多く整理された中にも突然ふにゃっと曲がった道が
現れます。それはもともと江戸以前から…けもの道から発生して人が通る道になった
道の名残ですよね。



上「道」 下「これも道」 2011(式根島)


 式根島の制作の中で、「道」という写真と、ただの林が写っている「これも道」
というタイトルの写真があって。それは轍(わだち)ができて文明の象徴として
できてきた道と、僕が藪こぎ(※4)をして通ったけもの道の写真なんです。
私が藪こぎをするときは藪の中でも通れるところを通るんですが、それが自然に
けもの道になっていく。道というものでも、文明のシステムではないものもあり、
自然に用意されたような状況に対して生まれる有機的なけもの道のような感覚も
大事だという考えが私の中にあります。




―自然と文明の中間、というお話もありましたが「中間的」という考え方を
 もつようになったのはなぜでしょう

 大学に入る前から好きだった岸田劉生の「切通之写生」(※1)という絵が
あります。その作品を読み解くと、あの地面は土で自然物質なんですが切り通しに
なっているので傾斜している。その周りに塀もあって木も生えていて、すごい
グレーゾーンというような、必然的な自然と文明との混在した絵だったんです。
そして電信柱の影があるんですけど、電信柱は実際描いていない。電気という文明の
先端を直接描かないで、これからこういう時代が来るという示唆に止めている。
 その絵の内容を読み解いた時、無意識下で僕がそういう文明と自然と両方がある
混在している瞬間が好きだったんだとものすごく納得してしまいました。



自宅近くの海岸での制作風景

 僕は生まれが神奈川で、もともと農村地で、畑があって山があるんですが近くに
コンビニもいくらでもある。東京都心から4、50キロ離れているけど電車で出れば
1時間くらい、車で丹沢(※2)までも1時間くらい。どっちの空間にも手が届く
距離のいわゆる郊外というようなところに育って、文明も自然もどっちの条件も
経験していた状態だったということが深く関連しているとは思います。



―今回の展示の副題は「primal contact」。「原始的」「原初的」という
 意味のある言葉ですが、「primal」=「プライマル」という感覚は
 今井さんにとってどのようなものでしょう

 初期の文明が栄えるとき、必然的な状況に対して何かで対応する時に発生する
「知恵」というものがあって、それが合理的になる以前の瞬間がいいなと思って
います。それをプライマルな感覚と言っています。今回、そのプライマルな感覚の
過程を作品におとしこもうとしました。


 人間には「知性」があるので、動物が環境にゆっくり適応する一方でその前に
環境を変えてしまう力がある。進化を追い越してしまっているスピード感があります。
必然的な状況に対して、道具をつくって人間の手にはない木を切る力を手に入れたり
することから始まるんですが、どこかの段階でシステムになってしまう瞬間が
あります。科学であっても、最初のスタートは科学者の想像だったり、わくわく、
好奇心みたいなものなんだと思いますが、研究するにつれて仮説が定説になり
確定要素が強くなってくる。ものや考えが固定されて、最終的には論文と言う形で
冷たいものになってしまう。状況に反応して発生する「知恵」が完結手前の有機的な
状態にある感じがいいと思う。




 たとえば世界各地に洞窟壁画があるんですが、それは人類初期の絵で、フレームは
ありません。諸説ありますが、人工的な壁ではなくて、曲線になってでこぼこして
いる中でおそらく平らな部分を見つけて描くので、描く場所に選ばれる必然性
みたいなものがある。それが原始的―「プライマル」な選ばれ方というか。

 自然は原理のもとに出来上がっています。木が枝を広げるのは光を集め、根本に
水を集めるためだとか。原理や理由に則して自然発生するように、作品設置の選び方や
反応の仕方が状況や主題と結びつく瞬間があるように思います。同じように人間が
何かを発見したり、知恵で物事を発展させたり、土着の文化を一つ作るということ
にも、必ずもともとの環境とか自然とかがある。だからそこに反応して生まれる
-プライマルな感覚の状態はいいなと感じます。

 ですから展示場所を見ないで持ち込んじゃうことはなるべく避けます。動物が
無自覚に環境に適応するように、僕が動物として空間/場所/環境に対峙し、必然性を
抱えたものが生まれた時が自分の中では手応えがあります。

  自然や状況とのコンタクトが上手くいっているときは、何か世界に触れているな
 っていう感じがあり、それはすごくプライマルな感覚に近いかもしれません。




―作家であると同時に農業にも従事されていますが、自然を相手にする
 第一次産業に関わっている事は関係していますか


 何かしらの場所や状況、環境などで何かしらをきっかけにつくることを見出す事と
農業は大差がないように思います。作品かそうじゃないかくらいの差で、本当に
必然的状況に対応する仕事だなと思っています。農業に関わらず農林水産業に
内包される太古のプロセスというものに普遍性を感じます。

 偶然、中沢新一(※5)さんの本を読んでいたら、「数」という概念が発生したのは
日付や月の満ち欠けを数えるという自然的な状況からであって、相手が自然状況で
あると。必然的な状況を切り離して進んでいくものごとはシステムに近づいていく
けれど、そういうものを残すところに情緒が残るみたいなことも岡潔(※6)が
言っているようです。岡潔は数学は情緒であり、西洋の数学には情緒が足りないと
いう話をしていますが、戦時中に奈良県の山奥で農業をしていたようです。
だからシステムに寄りすぎずに人間が結局は動物であるという野生的な感覚・自覚を
持ち、中庸的な立ち方は大切にしたいです。僕もその仕事に携わっていく予定では
あるので、農業をする生活の中で何かしら作品のきっかけも生まれてくると思って
います。

 そもそも今の考えが家業を継ぐというほぼ固定的な条件・状況があって、それを
僕の美術をやっていくプロセスの中に組み込もうかっていう事から生まれているとも
いえます。こういう生き方がしたいから農業を選んだのではなく、農業を継ぐ、
でも美術もやるという状況で生きる中で自然とこういう作品形態になって…
今まで言ってきたような興味に至ったのも、農業が影響していたと思います。



―そういった考えを持ちつつ、「美術」にこだわるのはなぜでしょう

 美術や、文学、音楽のような芸術分野は不安定さを受け止めてくれる
部分があると思います同じものづくりでも日用品や電化製品など様々な商品は
誰かに需要があってどれだけ利益が出るのかという明確な目的があるものもあります。
作品も利益を生みますが、出発がアイデンティティと深く関わっていてよもや目的が
ない産物ができたりする…そんな不安定さがいいなと感じています。




(※1)「切通之写生」岸田劉生 1915 国立近代美術館蔵 重要文化財

(※2)丹沢
神奈川県北西部の山地。最高峰1,673m、大部分が国定公園などに指定される。古くは信仰の山であり、
現在は都心から近い登山スポットとして親しまれる。

(※3)「風景学 -風景と景観をめぐる歴史と現在(造形ライブラリー 06)」中川理著 共立出版 2008

(※4)藪漕ぎ
山野の笹や潅木等が生い茂る森林の中をかき分けながら進むこと。電力会社など職業的に行うものと、
趣味やキノコ採りなど自発的に行われるものがある。

(※5)中沢新一 1950-
宗教人類学を専門としながら様々な思想、民俗学を研究しアカデミズムの分野を限らずに活動。多くの著作がある。

(※6)岡潔 1901-1978
日本を代表する数学者で、数学における3つの大問題と呼ばれる課題を解決したことで国際的な評価を得る。
数学という分野だけでなく宗教的・精神的な面でも思索を深め、「情緒」という東洋的な精神構造による
数学的世界ついてや随筆の著作も数多い。




明日は第3回「大黒屋 Primal Contact展とこれから」を掲載いたします。