2016年10月16日日曜日

青木悠太朗インタビュー 第2回 「空間」をつくる感覚をつかむ

先日から掲載しております青木悠太朗さんのインタビュー。
2回目は青木さんの「空間」が制作されるまでのエピソードをお聞きしました。




―学生のころは塊を感じるような、量感のある作品も制作されていましたね。
そこから中の空間が空洞になっているフレーム状の彫刻に変化したのはなぜでしょう

学生の時は、教えていただいた先生の彫刻に対する感覚を教えていただくんですが、
それが彫刻は塊であるということだったんですね。何も知らない人にそういう情報が
はいってきて、他に情報もないので、そのやりかたでやっていたんです。

そのころはやはり粘土でちっちゃい模型を作っていって、気に入ったものをチョイス
して大きくして形を詰めていくみたいな制作をしていました。


卒業制作「たおれそうでたおれないかたち」(2010


 そうして卒業制作ができあがったときに、その作品には穴が開いているわけじゃない
けれどもへこんだ部分があったんです。まだその時は何もわからなかったんですけど、
なんかこの部分は好きだなあ、こういうのを作りたいのかな…みたいな感覚があった
んです。
 だから「空間」とかそういう言葉にはならなかったんですけど、そういうへこみや
穴が空いている作品をつくって、そこを感じてもらえればいい。作品の前あたりに
あるような空間を感じてもらえるようなことをしたいなと。まだ自分でもぜんぜん
わからないけど、とにかくそこをやりたいなと思ってそのあとはやっていたんですね。


アトリエにある模型を製作している机 手前に「空海と密教美術」展のチケットが貼ってある

 その感覚をもちつつ、「本当にこれをやりたかったんだ」と思った時がありました。
東京国立博物館に「空海と密教美術」展(※)という仏像の展覧会を見に行った時です。
 その展示では東寺の曼荼羅の配置通りに木彫の仏像が配置してあったんですが、
その中で1つ目に留まる仏像があったんです。
 東寺の国宝梵天座像で、普通にすわってちょっと手を広げている仏像なんですけれど、
それを見た時にすごくその前の空間のようなものを感じたんですよね。それを見た時、
なんだか「すっごいな!」と感じるような。仏像がすごいというより、その周りの、
前のあたりがすごいなと。かたちだけじゃなく、そのものが出している広がる空間
みたいなものにすごく衝撃を受けて。こんな感じの仏像だけじゃなく見えない部分が
みえる、感じるみたいなことをしたい、これはぜったいやりたいなとその時思ったん
ですね。
 なので、その時の半券はずっと机の前に貼ってあります。


   
修了制作「seed」(2013


 でもそれをどうやってやったらいいかっていうのはぜんぜんわからなかったんですよ。
仏像を作るわけにもいかないし。だからずっと粘土で模型を作ることをつづけていた
んですよね。
 たとえば修了制作の「seed」は下の塊の部分の隙間の中から種の芽みたいなものが
出てくるような作品。でもやはり本体ではなく「包まれていて、その中から出てきた」
ようなその隙間みたいなものを、見てほしいと。
それを最後に大学を卒業し、この作品のような植物とか芽みたいなねじれている形を
追っていくような、空間から出てくる感じのものを作りたいとおもって大学を出て1年
くらいやっていたんです。でも、やはりどうしたらいいかわからない。
 これはずっとやっていても進展がないんじゃないかなということを途中で思い出し
て。結局、学生の時の延長線上な感じなんじゃないかという意識が強かったんです。
僕自身結構切り替えする人間なので、このときも、このままやっていても展開が
見えない感じがしたので「やめよう!」と。


untitled」(2014

 まず模型を粘土で作ることをやめました。実験的に紙を使ったりとか針金を使ったり
とか。別の素材を使ったりとか…木の、それこそ割りばしみたいなものをくっつけて
みたりとか試行錯誤をして。
 そして、紙をなんか輪っかにするのを思いついたんです、急に。ふとその場にあった
紙をいじりだして、どうしようかなあと試していたら1個できて。で、一個だとあまり
面白くないかな、じゃあもう一個作って、くっつけてみようかなって。いいか悪いかは
わからないんですが、「何か」ができたんです。円錐状のつながった傘みたいなものが。
これなんか面白いかもなと思ったんですが、紙なのでじゃあ何で作ろう。粘土だと
ちょっと難しいかな、と思ったんですがもともと木を専門にしていたので、じゃあとり
あえず木で作ろう!と。はじまりはほとんど、わかんないけどやってみようと。
 それでできたのが「untitled」なんですけれども、まだ今より肉厚というか、逆に
隙間を意識して、線のほうの意識が強い1個のただ「かたち」を作ったみたいな感じ
ですね。
 そのあと、そのパターンで何個か作ったんですが、作っていてつらくならず楽しく
やれていたので、じゃあこのまま続けてみようかなという感じで、始まったんです。


初期のパターンをずらしてつなげた作品「Abstract frame 12-12014


 ですので最初は同じ形のパターンをつなげて、輪っか上にして、という感じでしたね。
ずらしながらですけど、同じ形を並べたり。そのあと、大賞を受賞した作品になるので、
実はその作品に至るまでにそんなに多く作っていないんです。垂らしておいて、不定形な
シンメトリーな形を見つけたというのもこれが初めてでしたし。




―「へこみ」や「穴」など、ものがなく空間があるところに興味をもつようになったのは
なぜでしょう


通っていた高校の近くの海 清水港

 なんででしょう。いい、としか思えないところもあるんですが、小さいころとかそう
いう狭いところとか穴みたいなところによくいたんです。そのころ住んでいたのは
静岡の海の近くなんですけど、小学生の時は自転車しか遊ぶものがないんですよ。
 だから海に行くんですが海と砂浜は遊泳禁止の海で。深いのかよくわからないけど
危なくて、テトラポッドとかがたくさん置いてあるんです。で、よくその隙間とかが
あるので中に入って遊ぶとか本当によくわかないことをしていましたね。下水管の中に
入っちゃったりとか。あと、でっかい側溝みたいなところに入って行っちゃったりして
いました。今考えるとやばい子かもしれないですね。


           
実家の建築現場 大学生までアルバイトをして手伝う

 あと、実家が工務店なんです。ですので建てられる前の段階の家とかにも手伝いでよく
行っていました。
 まだ出来上がる前の家の中というのは、ものがないんですね。すごく広かったり、
変な空間だったり。面白かったですね、その時は。あと高校生の時は家を建てる前の
コンクリートの基礎をうつときに建てる足場をの布をつけたりしていたので、家を建て
る前の何もないところを見ていたりということは、よくありました。
 隙間の中にはいっていっちゃったりとか、家の何もない空間とか。もしかしたらそう
いうところを何か気になっていたのかもしれないし、そうじゃないのかもしれないし。
まだわかたないところもあるんですけれども。



―お仕事もされていますが、いつ制作されているんですか?

 仕事が終わった後の夜制作するんですが、2時間とか3時間くらいやってまったく
できないときがずっと続くときもあれば急にできることもある。休日できるときは
1日中。
 どちらにしても、どちらかというと感覚的に作っているんだと思います。好きか嫌い
かという、直観を頼りに作っていますね。だめなものはモデルの段階ではじいてしまう。
ぜんぜんできないときは、どんどん捨てます。調子が悪いということですね。

夜の屋外での制作

 モデルの鮮度の話をしましたが、ちょっと時間を置く場合もあるんです。寝かしておく
という感じの。今つくところまでの意欲はないけれど、何かになりそうだな、という
ものはおいておく。でも、数的なことでいうと全然だめだなみたいなものの方がずっと
多い気がしますね。
 ずっとモデルをいじっているんです。楽しいというか、探しているという感じで
しょうか。
 あまりすぐにはおりてこないので、とにかく時間をかけるしかないんです。なので、
もうずっと延々やっているみたいな。でも、飽きないですね。ずっとやってられますね。




(※)空海と密教美術展
20117月から9月まで東京国立博物館で行われた特別展。東寺の「仏像曼荼羅」を8体で再現したほか、
仏具、図画、空海の墨蹟など密教世界を幅広く展示。






第3回は明日、大黒屋現代アート公募展で大賞を受賞、アーティストとして
活動することについてお話を伺いました。
どうぞお楽しみに。