2015年11月28日土曜日

山本雄基インタビュー 第3回 作品の背景 –曖昧性と現代日本の画家として−



山本雄基さんのインタビュー第3回を掲載いたします。

今回は作品制作に関する山本さんの姿勢、大変貴重なお話を
聞くことができました。

山本雄基展、会期残すところあとわずかです。
明日の17 時までとなっておりますので、まだご覧になっていらっしゃらない方は
ぜひお運びくださいませ。




-山本さんの作品の特徴として「はっきり描かない」ことがあると思います。
 写真から具象を描いていてた初期から、今のように法則を散らした円で
 見えないようにあいまいにするなど。それはなぜでしょうか。


大黒屋第5回現代アート公募展 大賞受賞作品「曖昧のあわ 見え得るところ」2010

 考え方、自分のライフスタイルみたいなものを反映していると思います。
大黒屋の大賞をとったときの作品のタイトルは「曖昧のあわ、見え得るところ」
だったんですが「曖昧性」というのはずっと大事にしていることです。ただ、
曖昧だとか両義性だとかという事は難しくて、曖昧さというのは中途半端だよね、
となってしまう危険性もあります。目に見えにくいものは言葉にしづらい。そこには
矛盾があって、絵画の中では矛盾を同時に視覚表現に落とし込むことができるのでは
ないかと考えてきました。芯を持ったまま融和する、というように。

  絵も最初の内は融和の要素が多くそれは何とかしたいなとここ数年ずっと思って
 いました。そこで今は見えないグリッドの構成みたいなものをいれて、両義性の
 アイデアが画面の中でおもしろく思えるバランスになってきたんです。



-そのキーワードである「曖昧さ」にこだわりつづけるのはなぜでしょう

 僕は絶対的な偏りが好きではないんです。自意識ってそんなに大きいものでは
ないんではないかと。もっと貪欲に自分以外のものを取り入れていって、
それらの選択をしながら作っていくのが自意識。そういう考え方を生き方にも
定めようと。それは絵を描くことでより自覚してきたことです。


Invisible,Visible/みえないみえる」2007

 震災後くらいからずっと今までイデオロギー論争みたいなものが続いているように
見えます。例えば単純に「原発再稼動派」と「反原発派」みたいに対立構造に
変換されると、個人の集まりがひとつのかたまりに思えてしまう。かたまりの全員が
同じ考えということではないのに、大きな声が可視化されがちです。可視化を
対立構造に持ち込むと分かり易いけど、それではいつまでたっても何も起こらない
んじゃないかなあと。SNS上なんかでもそういうこと、たくさん感じました。

 人間はなぜかそういう考え方をしてしまいがちにできているのかもしれないなあと
考えてみたりします。でも僕はなんとか、そうではない立場をとりたいと考えて
きたので、曖昧さが大事なキーワードとなっています。現実的理想郷は、肯定的に
曖昧さを捉えるところに潜んでいるのではないかと思っています。


―表面に1層透明層がある作品が多いことも、山本さんの考えと関係していますか?


 そうですね。透明な層で絵具の質感やイメージが、一段階遠くにあるというのは
大事です。パソコンのディスプレイやiPhoneはガラス1枚はさんで向こう側に物事が
あって、リアリティとして身近にあふれているからかもしれません。
 僕らは生まれた時から常にディスプレイの進化と共に育っていて、世代が進めば
進むほど身体との関わりが軽くなっています。僕の世代は、子供の頃のテレビはまだ
画面の横についたダイヤル及びボタンでチャンネルを変える方式で、また4歳の
ときからファミリーコンピュータの進化と一緒に育ってきたという感じでした。
 つまり、ディスプレイ内での世界との一体感、そこにはボタンを押したら反応が
ある、という類の身体の関わりが原体験としてあるんですね。今の時代のiPhone
なんかは「ワイヤレス」「タップ」という言葉を世の中に浸透させたように、
さらに身体性は軽くなっていると思います。

山本さんの出身地、帯広

 そういう意味で僕には不思議なバランスがあって。小さいころの一番記憶が
残っている別の原体験の風景というのは、豊頃町という帯広から30キロくらいの
小さな町にあります。学校のすぐ裏に山があって、よく遊んでいました。
十勝川という大きな川も流れていて。その河川敷に、たまに十勝石という黒曜石が
落ちているんですね。誰が教えてくれたのか、それを拾って遊ぶのが子供たちの
遊びで、1時間くらい探せば見つかるんです。たまに模様が入っていて、それを
見つけたらやったあ、という。今の子供たちも同じ遊びをしてるのかな?
あの石の黒い透明な美しさ、宝物感は特別でした。
 それに星空もとてもきれいで。隣に住んでいたおにいちゃんが天体望遠鏡を
もっていて、天体観測をしていて。木星と土星を見せてくれた。感動するじゃない
ですか。それで結構星を見るのが好きになって。オリオン座の三ツ星は同じ
平面上に無いんだ!とか理科の時間に驚いたりしました。

 そういう普遍的な自然体験もありつつ、現代的なテレビゲームの身体的な体験が
ありつつ。それらがいっしょの原体験として残っているんです。そういう体験が
間違いなく僕の絵に入っているだろうと自分で後から分析していたりもします。



―山本さんが作家になった2000年代は多種多様な表現のあり方が
 すでにあったと思いますが、「絵画」「画家」を選ばれた理由はなんでしょう

絵画表現の可能性について探っていた頃 「側面」に注目して絵がキューブになった作品
「All Thing And Nothing 2005

 大学の初年度でさまざまなことを学んだんですが、最初は性にあったとしか
いいようがないです。絵画と映像はいいぞと感じていて、興味のあった現代美術を
勉強するためには絵画の歴史からだと思って調べているうちに、絵画の世界に
どんどんのめり込んでしまって。
 絵画の魅力とは何かというと、自由さがあるということです。映像には時間軸が
あるので必ずタイムラインですすんでいくのでそれに縛られます。
 そして彫刻など立体物は重力に縛られる部分が出てくる。絵画は、もちろん
フレームという制約はあります。ところがフレームの中では時間の流れも重力も
コントロールできる。人間を逆さに描くとその絵の中では重力から解放された空間が
生まれるし、同じ画面に違う時間のシーンを同時に描けたりする。重力と時間を
操作するということは空間も歪められる。つまり、多次元の構造を表現できるんです。

 それに、画面のどこから見ていてもいいしどこから出てってもいい。入り口と
出口が等価に表れているということはすなわちインタラクティブ―相互性があると
いうことです。絵画というのは受け身のメディアで、画面に向き合ってくれる
お客さんを待っているんですよね。時には数百年も。それに画家が画面の前で
あれこれ行為した跡がそのまま画面に残っていて、時間を超えた存在感、
というものがある。そういうところが非常にすばらしいんです。



−現代美術の作家性はかなり多様になっていると思いますが、美術の世界の中での
 ご自身の制作の立ち位置をどのようにとらえてらっしゃいますか

 ドイツでの初個展で来場者と話す

 
 まだ俯瞰できるほど広い世界を知っているわけではないので難しいですが、
体験から考えられる立ち位置で言えば、「日本人の自分が現代美術の絵画を
やっている」ということ。そこには葛藤があります。
 いわゆる現代美術の中でもギリギリのラインで絵画を成り立たせている流れの
例をひとつ挙げると、デジタルイメージなどの実態性のないモチーフを、
シルクスクリーンやプリンターを駆使して絵画に導入したり、限りなく身体性を
抜くような、ウォーホル(※)をさらに発展させた絵画の潮流があります。

 それはアメリカ現代美術史の正史の最先端のひとつに位置づけられていますが、
では自分がその流れに乗れるのか?というと、それは難しいんです。なぜかというと
僕は日本人で、遠い日本人の僕がさらにその流れを正当に引き継ぐ必然性はありません。
 戦後の西洋美術の勉強をした時、そこで勉強したものはほぼアメリカ現代美術した。
だから、必然的にそれが現代美術なのだと思って自分にインストールして、いつか
自分もこうなるようにやっていきたいなと思うんだけれども、実際に海外の環境に
身を置いてみた後にいろいろ違和感がでてきたんです。西洋式の抽象画の流れの中で
制作してきたけれども、なぜ日本でそれをやらなければいけないんだという。

 では西洋現代美術の影響も間違いなくある前提は受け入れつつ、さらに日本人
としてどう飲み込んで表現するか。その1つとして、大江健三郎の
「あいまいな日本の私」ではないけれど、自作で意識してきた曖昧さを深めたいと
考えています。

 201511月現在、開催中のドイツでの個展風景


 (※)アンディ・ウォーホル 1928-1987

イラストレーターを経てアメリカのポップアートの先駆者となった現代アートを代表する作家の1人。
大衆的に流布するイメージをシルクスクリーンで複製するなど、大衆社会を反映する工場制を反映する
作品を制作。



明日は最終回、「現代美術のアーティストとしてのこれから」を掲載いたします。