2025年11月2日日曜日

2025年11月 磯谷博史 展

板室温泉大黒屋では、2025112日(日)から1130日(日)まで、磯谷博史による個展「パンゲアの破片/Shards of Pangaea」を開催いたします。

本展では、新作《パンゲアの破片》シリーズ14点に、《着彩された額》シリーズから小作品7点を加え発表いたします。




磯谷は、写真や彫刻を用いたインスタレーションを通じて、認識の複層的な構造を探る制作を続けてきました。大黒屋で3年ぶり4回目となる今回の個展では、オーストリア・ニーダーエスターライヒ州(ウィーン北方)に位置するロースドルフ城(Schloss Loosdorf)で撮影された写真作品を中心に構成されます。中世に起源をもつこの城は、近世・近代の改修を経て現在に至り、1834年にフリードリヒ・アウグスト・ピアッティ伯爵の手に渡って以来、ピアッティ家の所有となりました。同家は北イタリアを起源とし、11世紀にまで文献上の言及を遡ることができる旧家です。ザクセン宮廷で要職を務めた時期もあり、かつては陶磁器の交易にも関わっていました。ドレスデンからロースドルフへ居を移す際、陶磁器コレクションもともに運び入れたと考えられています。



ロースドルフ城のコレクションは、17世紀以降にヨーロッパへ渡った東アジアの古伊万里や景徳鎮の陶磁、さらにはマイセンやウィーンなど欧州各地の名窯を含む多様な構成で知られ、「白い金」と呼ばれた陶磁をめぐる東西交流の象徴ともいえるものでした。しかし第二次世界大戦末期、城は旧ソ連軍に接収され、地下に隠された陶磁器の多くが破壊されます。戦後、砕かれた破片は「Scherbenzimmer(陶片の部屋)」に集められ、戦禍の記憶として静かに保管されました。

展示される写真作品は、この「陶片の部屋」に残された破片を、生命の象徴でもあるミルクに浮かべて撮影したものです。ミルクは破壊の痕跡を包み込み、再生を象徴する儀式の場として機能します。乳白の液体は陶片の鋭い輪郭をやわらげ、かつて器であった姿への想像を私たちに促します。



磯谷は、失われた形を物理的に修復するのではなく、分かたれたものの間に新たな関係を見いだし、精神的な側面からの修復を試みます。断絶を抱えながらも、「いま、ここ」において
陶片の歴史と記憶を再び結び合わせようとしています。タイトルの「パンゲア(Pangaea)」は、かつて地球上の大陸が一つであったとされる超大陸を指します。やがて分かたれた大陸を再び結んだ航海や交易の歴史は、東アジアの陶磁がヨーロッパへ渡った道のりとも重なります。ロースドルフ城に残る日本・中国・欧州の陶片は、交流と伝播、そして分断の記憶を静かに語りかけます。砕かれた断片を結び直す本展の試みは、歴史と物質の層を横断し、観る者の想像力を通して「再生」を促すひとつの回復の旅でもあるのです。  
本プロジェクトは、ロースドルフ城を所有するピアッティ家と磯谷によるコラボレーションから始まりました。何世代にもわたって日本を含む東アジアの陶磁器を収集してきたピアッティ家は、「陶片の部屋」に保管されてきた文化遺産(戦争遺産)と、現代美術を交差させる試みを構想しました。陶磁器コレクションの理念に共鳴した磯谷は、時間の層や破片の記憶、再生といった主題を軸に、陶片をめぐる歴史的な物語を現代へと接続することを試みます。彼にとってこの出会いは、異なる時代と場所を媒介する創造の契機でもあったといえるでしょう。
秋の紅葉深まる那須・板室温泉にて、ぜひご高覧いただけましたら幸いです。



会期 : 2025 年11月2日(日) - 11月30日 (日) 10:00 - 17:00

※11月2日のみ13時から開館いたします。

※展示は宿泊以外の方もご覧いただけます。


2025年10月26日日曜日

第254回 音を楽しむ会

今月の音を楽しむ会はフルート 森川道代さん、ピアノ 安宅薫さんによる演奏会でした。



今回の演目は...

                                       ♪ R.ギオー マリオン組曲より第一楽章

                                       ♪ A.F.ドップラー 「 3つの小品」より
                                          ・子守唄
                                          ・ マズルカ

                                       ♪ C.A.ドビュッシー
                                          ・小舟にて
                                             ・小さな羊飼い
                                             ・亜麻色の髪の乙女

                                       ♪ ジュナン ヴェニスの謝肉祭(Picc.)

                                       ♪ ダマーズ 演奏会用ソナタ




今回は森川さんの恩師でもあるレイモン・ギオー氏作曲の「マリオン組曲より第一楽章」で開演しました。


音楽の「抽象主義」とも呼ばれているC.A.ドビュッシー。彼の作る曲は「色」を連想させるものがあり、光や水面のきらめきといった視覚的な印象や雰囲気を「音」で表現しています。森川さん、安宅さんの奏でる「亜麻色の髪の乙女」はフルートの音色も相まり、より音が、空間が澄み切って感じられ、木漏れ日が差し込む森林の中に佇む女性を想起させます。中盤以降の曲調は女性の姿をどこか懐かしむような哀愁も感じられました。


曲間のMCでは作曲者や時代背景、楽器の説明など、森川さんの楽しいMCもありました。ジュナン作曲「ヴェニスの謝肉祭」で使用したピッコロは161年前のものなのだとか。歴史好きの森川さんは池田屋事件に触れながら、長い間大切に保管され音を紡いできたことを嬉しそうに説明しておりました。フルートよりも甲高い音色のピッコロ。細かい音の粒が連なる圧巻の演奏に会場からは大きな拍手が起こりました。


アンコールには「カラスなぜ泣くの」でおなじみの童謡「七つの子」を演奏。テレビ番組「8時だョ!全員集合」で志村けんさんが「カラスの勝手でしょ」と替え歌したことにより、幅広い世代に認知されている曲です。替え歌による明るく元気な印象でしたが、フルートとピアノの清らかな音色により、清澄さも感じられ、曲に対する印象が大きく変わった一曲となりました。





次回は11月26日(水)ピアノ 石田多朗さん、笙 中村華子さんによる演奏会です。

どうぞお楽しみに!

2025年10月3日金曜日

2025年10月 浜野まゆみ・矢野直人展

室温泉大黒屋では10月3日より大黒屋サロンにて「浜野まゆみ・矢野直人展」を開催いたします。


古唐津と古伊万里―400年前の陶工たちが生み出した伝統に挑み、古陶を糸口に現代を見つめる二人の展覧会です。

浜野まゆみは、大学で日本画を専攻し卒業後、焼き物の里・有田の窯業大学校にて陶芸を学びました。江戸前期に生まれながら石膏型の普及によって途絶えた「糸切り成形」の研究・再現に取り組みつつ制作しており、粘土板を糸で薄くスライスして型に当てるこの成形法によって、複雑な形状の磁器を生み出しています。高台も別途成形した紐状の土を貼り付けて作るため、成形には非常な手間を要しますが、そこに日本画で培った緻密な絵付けの技術を生かすことで、凛とした気品と繊細さを湛えた美しいうつわを完成させています。浜野の作風には江戸前期の古伊万里への憧憬が色濃く漂い、伝統文様や染付の意匠を現代の器に静かに息づかせているのも特徴です。初期伊万里の古格を纏いながらも、同時に新鮮な瑞々しさを感じさせる作品は、見る者の記憶の奥底にある郷愁を呼び覚まし、日々の暮らしに優雅な彩りを添えてくれます。



矢野直人は、古唐津を石器質の焼き物と捉え、あえて粘土ではなく唐津の砂岩を用いて作陶しています。自ら唐津の山中で砂岩を掘り出し、土や釉薬など原料の調合から薪窯での焼成まで、すべての工程を一人で手がける数少ない陶芸家です。砂岩は採取する地層によって粒子や性質が異なり、その特性に応じて黒唐津・朝鮮唐津・斑唐津・絵唐津・山瀬・皮鯨・刷毛目・粉引・白瓷など、多彩な作風を展開しています。桃山時代以来の古唐津の流れを汲みつつも、素材の個性を最大限に引き出した器からは、荒々しさと静けさが同居する存在感が立ち上ります。焼き物の原点ともいえる土と火に真正面から向き合い、伝統を現在に更新する力強い制作姿勢が感じられます。



お二人とも古唐津や古伊万里といった古陶磁に強く魅了されていますが、決して過去の作品をそのまま写すのではありません。400年以上前の陶工たちがどのように素材と向き合い、どのような手法で器を作り上げてきたのか、その原料・技術・方法を自らの手で体現し、現代の暮らしに通じる新たな器を生み出そうとする姿勢に、お二人の特徴がよく表れています。 長い時を経た技法や素材を現代に生かし、過去と現在を融和させるその仕事からは、年月を超えた深みと温もりが伝わってきます。本展では、浜野は糸切り成形で作られた器や、白土の粘土を塗ってから型紙を剥がす「型紙摺り」という技法による器、またろくろ成形による花器などを展示いたします。矢野は茶碗・花器・酒器・向付・碗皿など、多彩なうつわを出品予定です。伝統に裏打ちされた確かな造形と、季節の趣きを映す器の共演をぜひお楽しみください。爽やかな秋風がそよぐ板室温泉の地で、歴史を感じさせる二人の器の佇まいをご高覧ください。

 


会期 : 2025年10月3日(金) - 10月27日 (月) 10:00 - 17:00

※10月3日のみ13時から開館いたします。

※展示は宿泊以外の方もご覧いただけます。


2025年9月26日金曜日

第253回 音を楽しむ会

今月の音を楽しむ会は初出演のチェロ 徳澤青弦さん、ピアノ 林正樹さんによる演奏会でした。



今回の演目はデュオアルバム『Drift』より...

「Elect」

「Einstein Effect」

「Quarter」

                   「Keichitsu」                   etc...



「世の中にある“そおしたらこおなるよね”という法則みたいなものを曲に込めた」と仰っていた「Einstein Effect」。普段何気なく行っていた習慣が法則として認知され、驚きや感動といった知的興奮へと繋がる様をチェロとピアノで表現。美しいメロディーの中に、心地好い「違和感」も感じられ、次に何が起こるのか心躍らされる1曲でした。

アンコールには映画「すばらしき世界」のエンディング曲で林さん作曲曲の「Under the Open Sky」を。曇り空に一筋の光が差し込むような、心穏やかになる素敵な演奏でした。


曲間のMC中に「相性が良いから良い曲ができるのではなく、合わないからこそ立体的に聞こえ、それもまた良いなと思える」と仰っていた林さん。クラシックとジャズを基盤にジャンルを越えて活動するお二人が紡ぐ音楽は、無意識のうちに耳に入り込み、聞く人の心の琴線に触れるものがあるのではないかと思います。


会場には椅子に立って「何が起こっているのか?」と好奇心を止められない様子のお子様も。初めての聴くのかもしれないチェロとピアノの音色に興味津々で、音に対して純粋に向き合う姿は、考えさせられるものがありました。




次回は10月26日(日) フルート 森川道代さん、ピアノ 安宅薫さんによる演奏会です。

どうぞお楽しみに!




2025年9月5日金曜日

2025年9月 細井美裕展

 板室温泉大黒屋では9月5日より大黒屋サロンにて細井美裕展「無いに聞く」を開催いたします。



細井美裕は東京を拠点に、音の力によって空間や時間の知覚を変容させる可能性を探求してきました。多重録音作品のほか、マルチチャンネル音響を用いたサウンドインスタレーションや舞台作品など、音を通じて空間認識や状況を変化させる幅広い表現を展開し、近年では立体作品の制作にも取り組んでいます。国内外で精力的に活動し、ロンドンのバービカン・センターやフランス国立音響研究所(IRCAM)など世界各地で作品を発表してきました。大黒屋では2022年、毎月26日に開催している「音を楽しむ会」において、一日限りのサウンドインスタレーションを発表していただきました。今回の展覧会は、それ以来初めてとなる本格的な個展です。



本展覧会タイトル「無いに聞く」は英題 “Trusted Silence” に由来し、沈黙に耳を澄ますという姿勢を示しています。音が供給されるのをただ待つのではなく、音が鳴る直前の緊張や、鳴っていない状態に潜む気配を信頼し受け入れること。細井はその意識を日常の中で保つための装置としてサウンドオブジェクトを制作してきました。素材には鈴や時計、金属板など、誰もが知る日常的なものを用いています。なかでも鈴は、鳴っていなくても音を想起させる世界共通の存在であり、匿名性を保ったまま音に実体と場所を与えることができる特別な素材です。細井は「音が立ち上がる寸前の静寂を聞きたい。鳴るのは今ではないことを受け入れ、それ以上を求めず、頭の中で補完する。それで満足できる人になりたい」と語ります。その探求は単なるサウンドアートの枠を超えて「ないこと」や「聞こえないこと」の価値を表現し、「時間認識という錯覚」への問いかけをも内包しています。作品はオブジェクトとして時間を伴いながら、鑑賞者に実時間とは異なる体験を促します。本展では、新作《無いに聞く》《時間解放運動》《滝》《渇望》をはじめ、フィリピンでのリサーチをきっかけに制作されたHuman Archive Centerシリーズより《バタアン・テクノロジー・パーク》《大きい山》、さらに細井のサウンドオブジェクト制作の契機となった代表的な作品《Fixation 5》《モモ》など、約20点を展示予定です。



本展は、昨年東京のGallery 38で開催された個展「ステイン」の延長線上に位置づけられます。「ステイン」では都市的な環境音や社会的記録を扱ったサウンドインスタレーションを中心に据えながら、さまざまなサウンドオブジェクトも展開されました。これらの関心をさらにサウンドオブジェクトに特化させ、旅館という滞在の場において、訪れる人々の足音やざわめきと、ふと訪れる静けさが交錯する空間を背景に、「静けさの多様性」を多角的に探る展示構成となります。また、大黒屋別館「北の館」1階では、福島県大熊町で本年発表された《轍》を特別展示いたします。本館サロンでの展示とは異なり、地域や歴史と響き合う社会的背景を持つ作品として、少し離れた場所に展示しております。大黒屋本館から少し足を延ばすことでご覧いただけます。細井美裕が紡ぎ出す静けさと時間の世界を、初秋の板室温泉にてぜひご高覧ください。


会期 : 2025 年9月5日(金) - 9月29日 (月) 10:00 - 17:00

※9月5日のみ13時から開館いたします。

※展示は宿泊以外の方もご覧いただけます。