2015年12月28日月曜日

初冠雪の日


先日、今年初めて板室が雪に包まれました。



例年なら雪深い板室ですが、今年は暖冬のため冠雪はしていませんでした。





薄く雪化粧した木々や大黒屋の作品たちは冬独特の情緒があります。
困ることも多い雪ではありますが、やはり板室の冬景色には欠かせません。



お客様お手製の雪うさぎ。



本年も大黒屋にお越しいただきありがとうございました。

みなさまどうぞよいお年をお迎えくださいませ。
来年もみなさまとお会いできますのを楽しみにしております。

2015年12月27日日曜日

第153回 音を楽しむ会

今回は大黒屋歌劇団第2回公演でした。
演目はプッチーニのオペラ「マノン・レスコー」です。



マノン ・レスコー役に ソプラノの城えりかさん、騎士デ・グリュー役にテノールの城宏憲さん、マノン・レスコーの兄役にバリトンの月野進さん、ピアノは山本恵利花さん、指揮は中橋健太郎左衛門さんでした。



マノンの魅力に惹かれたデ・グリューが激しい恋に落ち、愛を告げ合います。しかしマノンはデ・グリューから離れて別の生活をします。その中で揺れ動くマノンとデ・グリューからの一途な愛。激しい感情の表現に、すっかりのめり込んでしまいました。



最後の2人で荒野をさまよう場面でマノンは、疲れ果て死期を悟ります。デ・グリューの腕の中で息絶えるマノン。悲しい別れの姿でした。


 今年最後の音を楽しむ会でしたが、大盛況に終わりました。
次回は来年1月26日(火) ヴァイオリンの漆原直美さんです。お楽しみに!

2015年12月7日月曜日

大黒屋休館日


本日12月7日(月)〜12月16日(火)の間、施設の点検整備、メンテナンスの為、全館休館となります。休館日中は電話のお問い合わせ等も繋がりにくいことがあることがございますが予めご了承ください。

今日は毎年恒例のサロン床のワックス塗りをスタッフ全員で行っています!

2015年12月1日火曜日

12月 酒器展/大黒屋コレクション展

本日から「酒器展/大黒屋コレクション展」が始まりました。

「酒器展」は大黒屋でこれまで個展を開催、もしくはこれから
開催していただく作家さん全12名による「酒器」にスポットを
当てた展示です。


「酒器」とは徳利、ぐい呑み、杯、片口、ロックグラスや
シャンパングラスなど、お酒を呑むときに使うさまざまな
器のこと。年末年始を間近に控え、特別な時に使う器として
様々に思いを巡らすのも楽しいもの。


全国から陶器・磁器・ガラスという個性豊かな作品が集まりました。
豪華な酒器の共演となっております。
ぜひお運びくださいませ。


安齋賢太さん  福島/陶胎漆器


伊藤文夫さん 福島 /陶器


 小川博久さん  栃木/陶器



加藤委さん 岐阜/磁器


 杉山洋二さん 茨城/ガラス



西中千人さん 千葉 /ガラス




平川鉄雄さん 茨城/陶器




松田百合子さん 山梨/磁器




宮澤章さん 栃木/陶器


吉田吉彦さん 岐阜/陶器



 若杉集さん 栃木/陶器


同時に大黒屋コレクション展も開催しております。



今回の展示作家は 菅木志雄さん、タナカヤスオさん、廣瀬智央さん、
染谷悠子さん、渡邊豊 重さんです。

寒い日がつづきますが、ゆっくり暖かい場所で作品鑑賞も
楽しい季節です。



2015年11月29日日曜日

山本雄基インタビュー 第4回 「現代美術のアーティストとしてのこれから」



4回にわたって掲載してきました山本雄基さんの
インタビューも今回で最終回となりました。

山本さん、貴重なお話をありがとうございました。
インタビュー各回へのリンクはこちらです。
ぜひ全編通してご覧くださいませ。

第1回 「作品の構造について」
http://itamuro-daikokuya.blogspot.jp/2015/11/blog-post_26.html

第2回 「2011年 —公募展大賞受賞、震災とアーティストとして−」
http://itamuro-daikokuya.blogspot.jp/2015/11/2011.html

第3回 「作品の背景 –曖昧性と現代日本の画家として−」
http://itamuro-daikokuya.blogspot.jp/2015/11/blog-post_28.html




―山本さんは海外でのレジデンス(※1)の経験もあって、個展以外にも
 アートフェアに出展されたりするなど活動の幅を広げていらっしゃいますが、
 アーティストとして今後の戦略はあるのでしょうか


2014年の個展にて。後ろは2014VOCA展に出品された大型作品「Each Area2013

 レベルの高いアートフェア、芸術祭、美術館、ギャラリーという構造には
相互関係がありますよね。よりビッグな場で展示したいのは当然の目標なので、
そういう構造のいずれかに入るための狙いは立てたい。今お世話になっている
大黒屋さんもドイツのギャラリストさんも、そういう事を念頭に置きながら広報など
やって頂いているので、こちらはまずとにかく良い作品を用意することに必死です。

 良い作品を作るには、描くだけでなく良い刺激を受けることも大切ですよね。
戦略というよりあたりまえの事でしょうけれども、「直感」で自分が面白いと思った
仕事の話には食いついていきます。その一方でこれはやっちゃマズいので話に
乗らないという線引きもします。
 そういう判断のアンテナは自分の中でもっていないとすぐ妙な世界に飲まれてしまう
危険があるので。

 とにかくおもしろい方たちと出会って仕事をしたいです。アトリエにこもって
ばかりではそんな出会いはなかなか訪れないので、おもしろそうな人が集まりそうな
場に顔を出したり、コンペに出すのもそういうことですよね。

 絵画、というメディアは現代美術の中でも少し特殊な立ち位置で。古くから
続いているし、独自の体系があり独自の守られ方をしている、というか。僕の作品は
奇をてらうようなことはせず、1点1点をシンプルに展示するという極めて
オーソドックスなやり方が合っていると思っています。でもそれはどうしても、
なかなか地味なアプローチなんですよね。だから葛藤があります。



2015年に制作したカタログ

  それに今年初めてのカタログを作ったのは戦略と言えるかもしれません。
 作るための段取りにもハードルがあるし、新しい出会いを誘発させるための武器だと
 思ってます。カタログに関わってもらえた方々も皆さんとてもおもしろい方々で。
 出会いの種を蒔いていたら、花が開いてカタログができた!という感じです。
 自分が他から見ておもしろい人になれているならば、必ず出会いのチャンスは現ると
 思っています。

  出会いが無い状態が続く時は、自分のおもしろさがまだ足りていなかったり
 独りよがり状態なんだと自戒するようにしています。



―近代以降、絵画の「死」という事が繰り返し言われるわけですが、
 それでも絵画には可能性があるということでしょうか

ドイツに滞在中、ヨーロッパ中を巡って美術館やアートフェアを見る

 絵画の「死」と言うのは、でっちあげだと思うんです。
 絵画の終わりと言われていた70年代にも良い絵描きはやっぱりおもしろい作品を
描いていて。今現在もおもしろい絵画はどんどん作られている。人間である以上
絵画は終わらない。絵画の歴史は何千年という話をしましたが、記録が残って
いないものを入れるときっと人間が人間になった時から描いているものなんです。
絵具がなかろうが鉛筆がなかろうが砂浜と棒があれば友達の顔とかその辺の動物とか、
何かしらは描いていたはず。
 また、写真が発明されたらその影響はすぐに同時代の画家達によって絵画に
取り入れられたし、映画の時もそうでした。フォトショップやイラストレーター
といったアプリケーションなどで視覚表現が進めば、必然的に絵画も進む。
だから絵画が終わったというのはナンセンスです。
 
 そして最も深く、すばらしい絵画は年代毎にこれからも残っていくでしょう。
僕もそういう絵画を残したいと思っています。ちなみに西洋の現代美術の中では、
絵画は絵画で進化論のように体系的に残されています。日本の現代美術の中の
絵画はそのような体系としての道筋がぼんやりしていると思うところがあります。
どちらがいいかはわからない。でも、たとえば宇佐美圭司さん(※2)や
中村一美(※3)さん、中西夏之さん(※4)、岡崎乾二郎さん(※5)他にも
たくさん挙げられますが、そういった方たちが日本でとても興味深い、歴史に
残るような現代絵画作品を作られている。
 理想論でいうと、日本の現代美術史の中でも絵画の体系が語られることを
望んでいます。とりあえず僕の個人的な感覚で、日本での絵画史体系も意識し、
その上で日本の中でも北海道という距離感にも自覚的でありたい。本州的な日本の
体系に属せない、および体感できないズレみたいな感覚を活かせると思います。



―山本さんが取り組んでいる「美術」の社会的な役割というのは何だと思いますか


 たまに、社会に美術なんていらないという方がいますが、それはナンセンスだと
思います。いらないんじゃなくて、そもそもなくならない。人間が5000人とか
10000人とか集まれば美術を始める人はかならず1人2人は出てきてしまう。
そういう風に、人の社会のシステムにあらかじめ組み込まれているんだと思います。
 
 仮に美術に役割があるという言い方をするならば、社会の調停役、バランスを
とるものだと思います。人間は合理的にできていないけれども合理的を目指すので、
進歩しながらも歪んでしまってストレスが出てくる。学校に言っていてもどうしても
クラスになじめない子はいるし、浮いた子もいる。そういう子は、美術があることで
救われるなんてことも多々あるはず。もっと極端に言えば社会からは殺人者も独裁者も
いなくなりません。美術家も、もしかしたら似たようなものかもしれない。
でも美術には希望があります。最終的には、ヒューマニズムに関わってくると思います。


―作家として、将来的にどんな場所を目指しますか?

 2015年 個展会場にて

 おもしろい作品を考え生み出すための最大限の時間と環境。これをできるだけ
持続できる状態を目指したいと思います。そして何があろうと続けられる状態。
未来に作品が残るかどうかは自分が生きている時にすらわからないので、
とにかく生きてるうちは続けます。結果は行為の反映となって現れるはずなので。

ごちゃごちゃ考えるのもいいですが、そんなのぶっとばすようなとんでもないものを
作って自分の目で見てみたいです。

 マティス(※6)がこんなことを言っていて。
われわれは現代に属しており、現代の意見、現代の感情、そして現代の過ちをすら
 分かち合っている(中略)すべて芸術家はその時代の刻印を担っているが、
 偉大な芸術家というのは最も深くその刻印が印されている人たちである。と。

  のんびり暮らしていてもそういう刻印が刻まれるとは思えません。だから、
今何が起こっていてどうなるのか、ということに対し常にアンテナを張りながら、
作品を作って考え続けたい。


 マティスの言葉はシンプルですが強くて重いですよね。そんな芸術家を目指します。


(※1)アーティスト・イン・レジデンス
アーティストを一定の期間招致し、その土地に滞在しながら制作する事業の総称。

(※2)宇佐美圭司 1940-2012
独学で絵画を学び、国際的なビエンナーレなどで絵画を発表。巨大な絵画に多数のモチーフ、
構図が交錯する「知的な」絵画といわれる作品群を制作。絵画、美術論の著作も多い。
2012年「宇佐美圭司 制動(ブレーキ)・大洪水展」が最後の個展となった。

(※3)中村一美 1956
デビュー当時「Y型」と呼ばれるY字形のモチーフによる作品で注目を集めたのち、
東西の絵画空間表現を研究。絵画における空間、意味性についての研究と制作を精力的に行っている。
国立新美術館で2014年に大規模な回顧展が行われた。

(※4)中西夏之 1935-
東京出身、1960年代の「反芸術」と呼ばれる美術の動向の中心的役割を果たしたハイ・レッド・センターの
メンバーとして評価を受ける。60年代後半から絵画へ取り組み、細胞を思わせるような複雑に増殖、
絡み合うような作品を発表。

(※5)岡崎乾二郎 1955-
東京都に生まれ、作家活動とともに美学、美術史に関する批評でも活躍し、大きな影響力をもつ。
レリーフ状の「あかさかみつけ」シリーズでデビューしたのちはアクリル絵の具を厚塗りにしながら
歴史意識、批評性の高い作品を制作。

(※6)アンリ・マティス 1869-1954
近代芸術の中でも最も重要とされる作家の1人。フォービズム(野獣派)のリーダー的存在として
注目を集めたのちも、晩年まで色彩と線、絵画空間を追求。世界中の美術館で作品が収蔵され、
日本でも多くの展覧会で取り上げられている。