2015年7月15日水曜日

木城圭美インタビュー 第3回「木城圭美の描くもの」

―作品についてお聞きします。木城さんの作品やことばの中には
「宇宙」というキーワードが出てくることがありますが、それはどのようなものですか?
理科の授業で話すような、科学的な宇宙とは違うように思いますが、
木城さんにとっての宇宙とはなんでしょう。

説明は難しいんですが、物質的な宇宙をさすわけではありません。
私のイメージではキラキラした「もや」のようなもの。
目に見えない。つながっている流れのような。

私にも木にも、あなたにもありんこにも流れている。
進化する前まではねずみだったり、その前は海の中のミトコンドリアだったり、
それが分岐して枝分かれしていろんなものになっているけど、
もとには一本の流れがある。
「いのち」といってもまたちょっと違うんですけど。


結果的には「宇宙のもや」で、それを描いているように感じています。


 描き始めたばかりの『ほとはしる』

―目にみえない「キラキラ」しているものということですが、光っているんですか?

光っている、キラキラしているものです。キラキラは、エネルギーのようなものかな。

そのキラキラの流れはみんなの中に流れていて、それを絵で提示することで自分の中、
潜在意識を見いだすことができる――
それが遺伝レベルの癒しとやすらぎになるんじゃないかと思っています。
今回の展示のテーマにしているものですね。

 完成した『ほとはしる』 油彩・ケヤキ 2015 部分

―木城さんの作品の描きはじまりにあらわれる「もや」っとしたものが
 その流れですか?それが木城さんには見えているんでしょうか

見えている、というよりも、その宇宙と「つながりたい」、「感じよう」としています。
だから常にアンテナは立てています。
お茶を飲んでいようが、歯を磨いていようが(笑)
ただ、それを描いているときの気分は、
「答えのわからない証明問題を延々解いている気持ち」。
数学の問題には答えがあるけれど、これには答えがないから、
「答えはわからないけど、誰かが証明しなければいけない!」と。


―苦行ですね(笑)

そうでしょう!しかも展示という名の期限があり。
何かという正解はぜったいあるんだけれども、
その答えはだれにもぜったいにもわからない。
科学者にもわからないし、霊能力者にもわからないし。
でもぜったい何かはあるから、証明することはできるだろうと。
描きあがった絵は、ひとつの証明問題の答えだと思っています。

答えも形が見えないから、「これだ!」とは言えませんが、
その「宇宙」の「端くれ」は見えるんではないでしょうか。


描きながら、探りながら少しずつ完成していく

―そういった宇宙―「答えのない」「目に見えないもや」を描こうとするように
なったきっかけは?

小さいころ住んでいたところはほとんどが田んぼの風景で、
鈴鹿山脈という背の高い大きな山脈が大きく見えました。
毎日毎日、何十年見ていても山の風景は飽きない。
雨が降って、霧が出て、雲がかかって。
たまに神秘的な神々しい、神様っているんじゃないかという風景が雨上がりに
見えたりしました。そういうとき、これはなんだろうな、たかが山なのに
毎日なんで飽きないんだろうと。

あと、三重県なので、伊勢神宮も年末年始に毎年行くと、基本的に何もないのに、
でも何か、木と木の間に何かの気配がある。
そういった中で生きていたので目に見えないけど何かに心を動かされるのは何かな、
と思い始めたんだと思います。


木城さんの原風景鈴鹿山脈。中心に見える山は標高1212mの「御在所岳」


―それが木城さんの言う「宇宙」ということでしょうか。
 仏像をテーマにしていたことと関係はありますか?

仏教用語で曼荼羅という、仏様が宇宙を表しているものがあります。
いろいろな要素が決まった配列で配置されていて、秩序のあるさまを宇宙といって、
そこに共感して仏像をテーマにしていました。
そもそも仏像は、自分の感じるキラキラしたもやが強いような気がしました。
奈良とか京都とか、仏像はかなりインスピレーションが強くて。
それを描いていけば宇宙の設計図になるんじゃないかな、と。
証明問題の1つの答えがそこにあるような気がして、
描きやすいと思ったこともありました。

―今回は木の板に描いた作品が多くありますが、
描いているキラキラしているもの、と関係はありますか?

それまではカンバスにびっちり描いていたんですが、
一緒に展示したことのある仏師さんにみっちり描いてあって入り込む隙がない、
四角い形も押し込められていて窮屈だ、と指摘していただいて。
そのときに木の板をいただいたのがきっかけです。

板に描くと木の存在感があるので、説得力が増すような気がします。カンバスよりも。
私は画面をどうしても埋めなくては、と思ってしまうんですが、
木の場合は隙間を空けても木の存在感があるので埋めなくていいかな、と思えます。
また、木に描くということが原始的な意味を持たせられそうで好きです。

昔はキャンバスがなく、岩に描いたり木に描いたりしていたし、
それもいいんじゃないかと。絵描きの本質、ということから漏れたくないんです。



―「絵描き」ということにこだわりがあるんですね。

私の唯一のこだわりは、筆だけで描くこと。
パレットナイフは使わない。絵描きだから。
筆以外のものは何か違って、パフォーマンスじゃないかと思っています。
パフォーマンスは自分のイメージがあって、こうしたいという思いからやるのであって、
そういう意識ができてしまうと「宇宙」を見る事なんて関係なくなってしまう。
絵を描くときは、証明問題を解いている間に形ができると流れです。
数学で言うならとりあえず3を描いてみよう、ルートを書いてみようと、少しずつ。
完成系がわかっていて、それを目指していくというわけではないんです。



―これからの展望を聞かせてください

外国で個展をして、海外の人に見てもらうというのが野望です。
場所はどこでもいいと思っています。町のギャラリーを転々として。
あと、自分の考えと哲学を持つこと。
菅さんがすばらしいと思うのは、菅さんの哲学をもっているということ。
村上隆にしても、奈良さんにしても世界に出て行く人たちは自分の哲学をもっている。
日本人も自分の世界観を持たないといけない。
私は、きらきらした(笑)。そういう世界。それをもっていきたいと思っています。