2017年8月9日水曜日

宮澤有斗インタビュー 第1回

現在大黒屋サロンに展示を行っています宮澤有斗さんのインタビューを
全3回にわたり掲載いたします。

宮澤有斗さんは大黒屋でもおなじみの陶芸家宮澤章の息子さんで、同じ工房で制作をしています。
そのご縁で大黒屋にも4年ほど勤務していました。今回はあらためて、作家としての活動を再開したのちの作品について、また陶芸についての考え度をお聞きしました。



―今回の展示作品の制作方法・技法についてお話しください


技法は、基本的には紐づくり(※1)や玉づくり(※2)という手びねりで作っています。あと、一部は電動のろくろです。ろくろと手びねりの作品では、土の粗さが違う。手びねりは原土を活かせる、無理なく使えるんです。僕は今使っているこの土を使いたいんですが、粗い土なのでろくろでひくと変な線が出たりやぶけたりしてしまう。最初は失敗の連続でした。100200個、もっとたくさん。


父の影響もあったんですが学生の時はずっと手びねりしかしていなくて、ろくろの世界を知らなかったんです。大黒屋で見た作家さんのろくろの作品の瞬間的なやわらかさを見て、ろくろでできることと、手びねりでできることは違うところにあるなと思っていました。




-あえて扱いの難しい原土を使うことにこだわる理由はなんでしょう


工房内にある黄瀬の原土


最初に自分が決めていたのは白い土が使いたいという事です。白い土でも精製して使いやすくされていないそのままの原土を使うのは、真っ白で純粋な白さよりも自然味のある白さを使いたいからです。ホワイトじゃなくてアイボリーのような、すき間のある白さといっていますが。人工的な白さよりも、和紙の繊維が残っているような自然な白さの方が入りこめる、余白があるなあと感じる。

そういう、雑味のある原土が今使っている黄瀬(きのせ)土、信楽の土がたまたま手に入りやすい状況にあったんですね。



―白い土「白さ」にこだわる理由はなんでしょう

僕が白を選んだ理由は、空間に置いたときに、「関われる色」だと思ったんです。
それは生活空間に置いて邪魔にならない、主張しない、それでいて十分美しいもの。そういう空間と溶け合っていくようなものって何だろうと思ったときに、白という色はいいなあと。曖昧さをもった色で、だんだん溶けて通り過ぎちゃうような、危うい面をもった存在というか。



僕は人と物の距離、つまり使いやすさも大事だけど、物と場の距離である状況性も大事にしたいと思っています。

 それは大黒屋で料理人が器に料理を盛り付けるしぐさを見たりお客様に配膳したときの反応を見た経験を通して学んだことで、器自体に装飾がなくても、料理人が飾り付けていく。むしろ、器に装飾があると盛り付けが限定されてしまう。それをしないで、料理人が器の余白を想像して、四季などの状況性を意識しながら創造していく。

 私は器を作ってはいるけれども、主体ではなくて盛られて、使われて、はじめて作品して完成するものを作りたかったんです。
それは器が客体として存在し、余白をつくることの大切さに気付けたからですね。だから僕は空っぽでいようと思って。空っぽであれば、周囲の事が関わったときにそれから何かを発見して、創造的にかかわれるんじゃないかと。

それで今白や銀を使うことにしたんです。



-「白い」土をそのまま生かす作品だけではなく、銀彩と黒い釉薬も使っていますね。
あえてその白さをカバーする作品も制作するのはなぜでしょうか?


 銀彩は上絵(※4)といって本焼きした後に上から塗っていく技法です。下の表情を殺すとか、消していく作業でもあると思います。ただ、塗って、また焼いて窯からだしたあと磨くとだんだん輝いてくる。するともともとの生地に凹凸があるから磨いたときにこすれる部分とこすれない部分があって。逆に消したと思っていた潜在している土の表情が、また滲み出てくるんですよね。粗いひび割れの部分はやたら目に入ったりとか、消えきらない原土の部分が、突出してきたりして。

これは面白いなっていうことで積極的に使っていますね。



また、銀を使った理由には周囲と関わりやすいものであるということもあります。
周囲と関わるには光の反射だとかいろいろな手段がありますが、銀の周囲と関われるって言う確信をもったのは現代アートの作品に触れたから、やっぱりドナルド・ジャッド(※5)銀の箱型のものが壁面に設置される作品とかを見たからですかね。

黒は、白を見せたいときに白を置いただけでは見えてこないというのがあるからです。
黒があるから白が際立つというか、光があって、影があるように。お互いに周囲を見せるために黒を選びました。

 この黒の素材は呼吸しているのでだんだん色が変わってくるんです。銀も同じで、どんどん酸化していくという周りとのかかわり方がある。変化しやすいから「その日」「今この瞬間」を意識することができるし。また、これから関わってくるって言うのを見る面白さはあると思います。



―「ギンサイカクサラ」などは四角く区切られたような凹凸ある表面が特徴的ですが、
  これはどのようにして制作しているのでしょう

これは角材を押し当てて作っています。皿を作るときに、大きさって難しいんですよね。センチとかそういう単位では僕の性格として決められなくて。その時に丁度、工房の改装をしていたんです。大工さんは、あんまりきっちり測らないんですよね。目安、つまり一寸とか、一尺とか、そういう感覚ですすめていく。これはいいな!と感じて。

そのとき工房に持ち込まれていた角材もそれひとつで洗練された大きさになっているんですよね。その洗練された大きさに任せて物を作る大きさを決めていこうと。それを4つ組み合わせたりして作るとセンチで測るとか理性的な部分から離れられる。

少なくとも角材とかは持ち運びやすい大きさやつかみやすいものになっていて、それはたぶん身体的に自然な選び方ですよね。だから無茶な大きさになる事はないかなとどこかで思っています。加えて手びねりで、この手の中で作っていれば、そうずれることはないなという。手で作るというのはその意味もあると思います。

そうやってすすめていくと表面の凹凸やズレ感もまた面白いなと思うようになって。痕跡を残すところがまさに粘土の面白さで。可塑性があって、押したらまずそこがへこむその時の力強さというか。だからこそ木を当てて、それを消すわけじゃなくありのままを残して可塑性を生かしています。だから市松模様にみえるところも、装飾としてそうしたのではなくて、結果的にそうなったところなんです。

工房に並ぶ作品

僕が消したい、潜在させておきたいところに、装飾性があります。
もっと土のそのままを使うということとか、もっと根っこの部分を見つめたいと思っています。だから装飾性というのをいかに使わないで器というものを捉えるか。そうすると四角い形は障子など日本の建築の中でよく出てくる、なじみが深くて無理なく使えるものだなと。

かつ、僕の工房にある電気窯はいうなればちょっと味気ないんですよね。そのまま出るというか、薪の火の加減だとかそういったものでの窯変(※3)がない。
自分が焼き物やることになって、有難いことに父親の工房を使わせてもらっています。その状況性から物を考えるというのもいいなあ、と思って。それを自分の中で受け止める過程で器をじっくりひきよせて、見るのではなくて、置いて・離れて・見ていくような感覚。

むしろこの味気無さを面白いと取り入れてこうと思ったんです。



-学生やデビュー後すぐの頃は土の色味がある作品が多かったと思います。
 あえて白い土に変えた理由は?

工房の壁に貼られた現代アートの作品や気になるもの

学生の時は、まさに父親のやっている仕事をしていたんですが、工芸特有な感覚で自然のありのままの素材とかかわっていくとどんどん技術・技法といった中の方に入っていってしまう。
それもすごく好きなんですが現代アートとかかわることでその身の引き方というか、周囲を見せていくということに興味が生まれたんです。物の良しあしがあるとすれば、中にあるものよりもその周りにあるものによさをすごく感じたんです。

工芸は伝統の中で日本人がそれに離れられずに、器とかに親和性を感じるというのはまさにそのものだと思うんですが、一番危ういのはそこしか見なくなるということ。
いろいろ焼き物を見ると、何かバイアスに通った状態の感覚、ある意味焼き物「らしさ」だったりとか、何々風だとか、「ぽい」とかがあって、自分の制作ももしかしたら無自覚でそういうものにすり替わっていってしまうんじゃないかと。

 だからそうではない、自分が触れている、作っている実感がどこにあるのかを知りたかったんです。そういったものを消したうえでじゃあ何が残ってくるんだっていうことになるんですが。



―いま宮澤さんの目指す器とは?と聞かれたときにどうこたえますか?


「なんでもないもの」「空っぽなもの」です。

器って、内側にも空間があって、ここをよりどころに料理や何かを盛ったりとかができる。けれど、同じくらいに外に空間がある。今までは中の空間だけだったんだけれども、外の空間を意識できるようになったんです。

 蓋物でいうと通常蓋には落ちないように歯があるんですけどそれをとった。固定しないで、自由にできる、あいまいにしていく。たてに置いてもいいし、立てかけてもいいし、横においてもいいなという。そういう自由さが欲しかった。常にその状況の中でのものがあるっていうのをやりたくて、ある意味たたずんでいるような雰囲気。立っているわけではなくて、固定しているわけでもなくゆらゆら揺らいでいる。自分が気になるのは一貫してそういうところがなんですよね。


現代アートにも、銀彩も、「これから」があるんですよね。そういう楽しみを残してもいいんじゃないか。機械的につくられたものには「らしさ」というものがすでにあって、隙間がなくて、完成されていて、純粋でもあるんだけど、ちょっとそこではないところにある美しさ。

 目に見えない関係性の美しさ、っていうのを見ていきたいなあと思っていますね。



(※1)紐づくり
手びねりの技法の1つ。粘土をひも状に伸ばし、底面の周囲に巻きながら積み上げていく技法。

(※2)玉づくり
手びねりの技法の1つ。球状に丸めた粘土を手で押し広げながら成型する技法。

(※3)窯変
焼き物を焼成する際、釜の中で生じる焼き物の変化の事。火の性質、釉薬の状態によって多様な変化が起こる。

(※4)上絵
釉薬をかけて焼成したのち、その上から絵を描いて低火度で焼き付ける技法。金・銀・色絵具など高温で溶ける性質のある色を用いる際に使用される。

(※5)ドナルド・ジャッド
20世紀のアメリカ現代美術作家。ミニマルアートを代表する作家の1人で、アルミニウムなどの産業素材の金属を用いた単純な箱型、四角などを空間に関連付ける作品を発表。美術理論家であり、「明確な物体」の著作がある。
Judd Foundation HPhttp://juddfoundation.org/



次回は明日、第2回を掲載いたします。