貴重なお話をありがとうございました。
第1回、第2回も是非ご覧くださいませ。
第1回「作品の成立」
http://itamuro-daikokuya.blogspot.jp/2016/02/blog-post_8.html
第2回「人間、自然、文明ー根底にあるもの」
http://itamuro-daikokuya.blogspot.jp/2016/02/blog-post_9.html
―大黒屋で展示をするにあたり、大黒屋という「場」の状況はどう感じますか?
建物や敷地を囲うような壁や堀がないことが印象的だと感じています。庭から
公共の河原に行き来できたり、圧迫感がないというか。しかし物理的に境界を
作っていないのに「ここから違う雰囲気だな」という空気感をしっかりつくっていて、
それが境界の機能を果たしているように思います。また、室外機や除雪機を見えない
ように隠すんですが、印象を消すんだけど隠しきらない。不自然さを回避している
感じがします。
公共の河原に行き来できたり、圧迫感がないというか。しかし物理的に境界を
作っていないのに「ここから違う雰囲気だな」という空気感をしっかりつくっていて、
それが境界の機能を果たしているように思います。また、室外機や除雪機を見えない
ように隠すんですが、印象を消すんだけど隠しきらない。不自然さを回避している
感じがします。
「mind through」2014 板室温泉大黒屋-竹の館
竹の館の作品「mind through」を制作するときに、それに関連して安藤忠雄(※1)
さんの言葉でぐっときた言葉があって。「壁とは、強固な意思を持ちながら、内と外を
物理的に分かつと同時に、それは人の心を受けとめ、内と外をつなぎとめる優しさを
持つ」と。ふすまで仕切られているけど取り除けばひとつの大きな大広間になると
か、壁であって壁でなかったりというかなり日本の建築の精神にのっとった言い方だと
思います。この完全に遮らない縁側の仕切りも、大黒屋の境界の作り方や隠し方を
参考にしています。隠しながらぎりぎり外とのつながりを感じるような。
―今回の大黒屋サロンでの制作にあたってはどうでしたか?
まず、私の中の文明と極端な自然の間のグレーゾーンの中で、展示ごとにどの位置の
事を表現しようかというのは毎回設定しています。今回「primal contact」という根源的、
原始的なという意味のタイトルがついているように、より原始的なイメージに寄せた
作品を用意しました。それは大黒屋という場が山に囲まれた渓谷で、自然と共存
している印象があったからですね。温泉も自然のエネルギーですし、庭も借景を
使って、決して大規模開発のような事はしていませんし。文明と必然的状況の間で
うまく力の交換をできているような場かなと思ったので、人がものと接する時の初期
段階の姿-「プライマル」な姿を今回の作品の中にもってきています。
「 to one in your」2016
壁の中にひとつ好きな壁があって、その前のソファだけその壁にむかっていて作品を
見る為のようなシチュエーションになっています。他のソファは庭を眺めることが
できるのにここだけ壁と対峙している。一番最初に完成させた作品はその壁の作品
なんです。たまたま似たようなソファが制作場あったので、自分の制作場の壁の前に
その椅子を置いて、ほとんど同じような状態で作りました。イスに座って、手を
加えて、座って、また手加えてイスに座って眺めて、くつろぎながら。唯一作品に
向かっているソファと、その壁っていうのが面白い対峙空間だなと。
―大黒屋で働こうと思った理由はなんでしょう?
大学4年生に上がっていたと思うんですが、教授に「選択」、つまり確定しない
けど選ばなければいけない瞬間に、自分の勘を信じられるようになってきていると
いう事を言われたのを覚えています。大学院へ行くということも思いましたが、
私の場合、このまま延長して制作するよりも、何か別の経験をして見聞を広げた方が
制作に繋がると感じました。その思いを後押ししたのが興味のあった作家の前職
でした。例えばヴォルフガング・ライプ(※2)はもともと医者で。東洋の医学を
通じて「西洋医学では本当の意味で人を救えない」と言っていたと思います。そこから
アートに移ってきています。ジェームズ・タレル(※3)が科学者だったり、ルソー
(※4)が税関職員だった事など、前職で培ったことなどから派生したことで独特な
説得力があります。作品が生活・生き方に深く関わっていて、知っているとか興味が
ある、ではなくシビアな体験から出た表現のように思います。
そうしたときに何か変わった仕事がしたいなと思い、大学2年生のときにたまたま
訪れていた大黒屋の不思議な空間を思い出しました。その時は作品を見て、温泉
入って、社長とちょっとお話して、なんか不思議な場所だなあと。旅館なのにアート
アートしているのは他にない。それに温泉や旅館が好きだったので。美大を出て旅館で
働く人はあんまりいないので最初はびっくりされたんですが、何か独特な経験をする
ために、決めました。
―大黒屋での経験はどのようなものでしたか?
予想外の経験は、お客さまから学ぶことが多かったということです。少し安易に、
旅館というのはお客さんが来る、泊る、「受け入れる」みたいな精神がどこかに
あったんです。でも逆に、お客様から常識的な事を学んだというか。年輩のお客様の
振る舞いが、こんな20代の僕に対してとても丁寧なお辞儀や言葉づかいをしていただい
たりとかして。また、作品を前にしてお客様が色々なお話をするんですが、お客様も
自分のお仕事の知識や立場から話をしてくださり、様々な分野からの見え方や幅が
あるなとつくづく実感しました。本当に面白い話がたくさんあって。
また、美術だけでなくて工芸にも見聞が広がって、別のジャンルの作家さんからも
コミュニケーションを通して学ぶことができました。美術というのは本当に工芸の
作家さんとも切り離せない。たとえば小川博久さんが、「僕は地球と同じことをやって
いるだけだ。」ということをおっしゃっていて。粘土は砂が大地で押しつぶされたり
堆積したりして形成され、溶岩で固められる。僕は手のひらで土をこねて、窯に
くべて、固めて、だから地球が石を作る事と同じことをやっているだけだ、と言って
いて。すごい事を言うなあと思いました。
―今後の作家としての展望を聞かせてください
まずは、同じような考えを持つ人―「共感」、出来る人と、仕事をしたり話をしたり
できることがまずここ10年20年くらいで起きたらいいなという事です。類は友を呼ぶ
ように。
繰り返しになりますが、何かこうなるべきだ、とかこういう世界にしたいとか
大そうな主張はありません。もちろん、俯瞰してみたら僕のやっている事も主張に
なるのかもしれないけれども、要はなにか世の中がこういう状況になった時に、何か
しら良き選択、適応、反応ができるようになるといいなと思っています。
大黒屋にいたときの経験が大きく関わっていると思いますが、作品を前に鑑賞者と
コミュニケーションすることは本当に大切だと思っています。こういう考えがある
んですけど、とか、どういう考えでこれを見たんですか、とか。たぶん私の作品には、
人を楽しませるようなエンターテイメント成分は少ないし、作品の不完全さみたいな
ものに魅力を感じているので最終的な見方を定めるということはなるべく避けたい
です。美術の上での意見交換も、美術の世界以外からの意見も。会話を通して作品の
「完成」ではなく、「成立」へと向かいたいと思っています。
また、今思うのは続けるための環境作りです。私はなかなか作家を職業とは思え
なくて。私を含め多くの人は別の仕事やアルバイトなどをしながら制作をしている
現状です。
美術以外の世界に触れるという意味も含めてそれでいいのだ、と思っています。
ただ30代、40代で金銭的に厳しいと身の振り方を考えた時に制作をやめるかという
選択に迫られる場合もあると思います。そんな選択はもったいないと思うので、
生活の糧と制作の上手いバランス、そんな環境を保ちながら続けたいと思っています。
僕の作品はインスタレーションを主としています。ので、作品を売るとかそれで
食べていくという考えが乏しいのかもしれませんが自分の作品の方法論や形態を
曲げずに済むようにそういったことを考えてきたのかもしれません。
さきほど前職の経験の話をしましたが、仕事と制作をわけないということも
私の中では大切です。自分の作品や考えと無関係な仕事をするという生き方の分断
みたいな事は避けたいなと。美術は色々な世界の出来事を概念として取り込んで
成立できる時代。自分が人として生きている中で、制作以外の時間が確実に存在
している、そこでの経験を作品に影響、転換できないのはもったいないなと思います。
作家も一人間なので、それを「生き方」と考えてもいいのかもしれません。
※1 安藤忠雄 (1941-)
国際的に活躍する日本人建築家。独学で建築を学び、打ちっぱなしコンクリートを中心とし
住宅から大規模な公共施設まで手掛ける。ランドスケープに接続し、地域創造に直結する事業も多い。
※2 ヴォルフガング・ライプ (1950-)
旧西ドイツ生まれのアーティスト。大学で医学を学ぶも生命や死、精神の問題を追ってアーティストに
転じる。東洋の文化や思想に深く傾倒。花粉や牛乳などの素材を用いる。2003年に日本で大規模な
回顧展が催された。2015年高松宮殿下記念世界文化賞 彫刻部門受賞
※3 ジェームズ・タレル (1943-)
アメリカ生まれのアーティスト。心理学や数学、天文学などを学び、芸術の世界に入る。人間が普段無自覚になっている物質的・精神的な光の認識についてさまざまな光源を用いて再認識する作品を制作する。
※4 アンリ・ルソー (1844-1910)
フランス生まれ、50歳まで税関職員として勤務する傍ら仕事の余暇に絵を描き、退職後に代表作を生み出す。一見稚拙に見える技法と幻想的な画面構成から「素朴派」ともいわれる。日本の美術館の所蔵も多い。
ポーラ美術館URL: