2016年2月8日月曜日

今井貴広インタビュー 第1回 作品の成立

本日から現在大黒屋サロンで個展を開催している
今井貴広さんのインタビューを 3回にかけて掲載いたします。

今井さんは大学卒業後大黒屋に作家志望スタッフとして勤務、
本展が初の個展です。
勤務している時にはお伺いできなかった制作の背景について、
深くお聞きするよい機会となりました。


―作品のコンセプトについてお聞かせください

 私の主題となっているのは、必然的な状況=自然に対する人の関わりです。
必然的状況と言うのは環境や状態、時にものだったりします。それに
なにかしらの「反応」をすることです。


 自然界に生きる動物は無駄な要素がないと思っていて、すべて必然的なフォルム
だったり色だったりしていると思います。例えば擬態だったり耳が大きかったり
爪が長かったり。それは動物が状況に適応した結果であって、とても必然的な
姿なんです。


 同じように応を人間の「反応」のプロセスに置き換えた例で挙げられるのが
「道具」です。今でこそ道具はいろいろなデザインをされていたりするけれども、
骨董市で手に入古い大工道具や古道具はとてもシンプルで、木の柄があって
金属がちょろっとついている、最低限のフォルムなんです。だから道具の本来の姿は
必然的な姿でとても美しいと思う。
 たとえばのこぎりの歯の形は横引きと縦引きと2種類ある。これは木の特性が
必然的状況としてあって、それに対応する人の知恵みたいなものが集まり加わって
そういう道具になっている。できあがった道具は必然的な状況から人が「反応」して
できたものということで、美しいなと思います。道具自体が美しいというか、
その過程を大切にしています。機能美というものは出来上がったものの美しさの事
を指すと思いますが、私は先に挙げた動物の適応のプロセスのように、人が反応に
よって生みだす構造の成り立ちや因果関係に魅力を感じています。
 また、自然の原理に触れる事で、「情緒」というものが生まれるものと思って
います。逆に、「情緒」とは自然の原理に触れている姿と言えるのでしょう。
作品によってはその「情緒」を含ませようと意識するものもあります。




―「情緒」とは具体的にどのような姿なのでしょう

「つくる つくられる はじめからある」2011(祀り小屋展)右:作品の一部の「釘」の部分

 作品の例で挙げると、「祀り小屋」(※1)の釘の部分だと思います。あれは
1つの作品の1部分でしかないんですが、あの釘の並びが作っているアール
(曲線)は、僕の親指と人差し指の形なんです。釘を何本か持っていて、それを
どこかに置いておこうと思ったときに床が散らかっていたから、適当な近くの柱に
ぽんっと打ちつけておいた。一気に6、7本持っていたものをそのままうったから
そこには人間の親指の自然なアールが生まれた。それは釘という純粋なフォルムをした
「道具」(文明の象徴)によって必然的である指のアールを生み出せていたということ。
だから、釘の持つイメージから飛躍できたと。釘を何かのために打ちつけるのとは別の
イメージが立ちあがるような感じで。

pure glance」 2016

  他にも今回の展示で出している写真の作品があります。写っているものは部屋の
片隅に伸びた扇風機のコンセントで、木などに比べたらずいぶん文明的な素材です。
すごく文明的なんだけど、そういうものがたまたま見せてしまった情緒的な
「荒(アラ)」みたいな。有機的な瞬間みたいなものが、なんか美しいなと思った
ので作品として提示しました。

 「情緒」は日本や日本に限らずアジア圏に顕著なものかと思うんですが、その
精神構造の発生には自然環境が必ずと言っていいほど関係しているように思います。
 結局文明の、合理性みたいなものから出るシステムにある冷たさ…システム化
されてしまった状況のようなものよりも、人がもともと動物であるという自覚、
本来あったであろうという原始感覚みたいなところが大事だと思っています。
システムに対して、その部分をいちどグレーゾーンにひっぱってきたいというか。





―制作する場についてはどのように考えますか?どのように関わっていくのでしょう?

 作品によっては場所をきっかけに想起するものもありますし、状況に呼応するような
作品の成立を目指しています。
 ただ、「人の歴史」や「人間の感情」というリサーチをするタイプの場所性は
自覚的に切り離しています。匿名な状況にしたいんです。例えば「祀り小屋」の時は
空き家となった古民家を会場にしました。劣化の過程(エントロピー)の只中にある
建物と自由に生い茂る庭の草木に「再生」を感じて、家と庭、内と外、文明と環境と
いったテーマで部屋と庭両方に作品を設置しました。

 この時、当時の住人と接し、昔の話や思い出などを聞かせて頂いて。それはそれで
興味深かったのですが、作品にその固有な物語は登場しませんでした。というのも、
作品の主題としては多くの人の共通認識を扱いたいという、俯瞰した立場のような
ものを目指しているからです。

「祀り小屋」の会場となった古民家

 たとえば、マーク・ディオン(※2)という作家はゴミを拾って作品にしている人
なんですが、小さな破片からドラム缶みたいなものまでとにかく幅広く、大量に
集めてきます。そこまでやられると、環境問題という人類に普遍的な共通項が
生まれてくる。それは蒐集癖のある人が海岸に行ってきれいなガラスや石を集めると
いうような個人的・固有的な感覚とは異なるものになります。
 固有のひとつの出来事や歴史を掘り下げることは大切だけれども、逆に広い認識、
傾向…「すべての人が同じ重力下にいる」ような、共通項を見ていきたい。




―作品がインスタレーションという形式になった理由はなんでしょう?
はじめは絵画を描いていたそうですが

 絵画は憧れではあります。一番その人が映るし、一番嘘をつけないメディアだと
思っています。鑑賞する立場から言っても絵画が一番見ていて楽しいです。
 ただ、制作で絵画から離れたのは、フレーム(四角)に、合理性や外の世界との
距離感を感じて。それを自覚し始めたらなぜ四角なんだろう、そもそも四角って
何だろうというところが気になってしまいました。

 そうして、僕の関心ごとが絵画のフレームの四角ということから「四角の発明」と
いうところに寄っていったんです。
  また、きっかけとしてあったのが、大学で1年生の時に習ったキャンバス作りです。
 画材屋さんではフレームが決まった大きさのバリエーションで売っているんですが、
 その授業では自分の描きたいテーマを既存のサイズのキャンバスから選ぶのでは
 なくて、本当にこのサイズじゃなきゃだめなんだという、自分の必要なサイズを
 つくれるようにするものでした。が、僕はそのキャンバス作りにものすごいはまって
 しまって。
  そこが本番じゃなくて描くのが本番なのに、パネルの作り―「構造」という
 物事の「うら」に興味が出てきた。その感覚が持続していたのがcamaboco展です。

「正しい名前で呼ぶこと」2010 camaboco

 家のような構造体があって、セメントがあって。裏側とか構造とかをストレートに
見せて、同時に原理みたいなことをテーマにしていました。要は、キャンバスが
絵画のものである以前に、「木材の構造体」だっていう方向に興味が出てきたと。
フォンタナ(※3)やもの派(※4)の考え方にも近づいていく事になります。


untitled」 2011



inner2015

 平面も過去にいくつか制作していますが、モルタルのプールみたいな「untitled」も
極力自分の意思を排除して、自然現象にまかせた作品で。「inner」も、反射して窓と
一緒な見せ方をする。意思のない必然的に起こる物事を取り入れたり反応したりという
ところはインスタレーションと変わらない意識があると思います。
 必然的な状況で、原理があって、それに反応していくという事をするから場所や
ものが最初のきっかけになっていくので、ホワイトキューブのようなまっさらな
空間から作るのはちょっと、反応しづらかったりします。


―ホワイトキューブでの作品にはどのようなものがあるのでしょう?


 「knock.from the day 2012 (ZOKEI展)

 たとえば「knock.from the day 時は手前の壁と天井と奥の壁も全部作りました。
その空間には窓があって、自然光が入ってきていました。そのとき、ホワイト
キューブで反応できるのがその自然光しかないと思い、自然光をきれいにだすために
四角い壁の隙間から光が四角く出ている状況を作った。それが実は一番やりたかった
ことで、手前にあるものは今思うと必要だったのか疑問に思うところです…。


「knock.from the day」解体後の会場

 ホワイトキューブの中でも、何かしら反応できるきっかけを見つけていく。
ひび割れでもいいし、もっと俯瞰してただ白い空間をどうとらえるかという自覚に
反応していくこともあります。ただ、ホワイトキューブではない空間の方が、
その最初のきっかけになることは豊富です。たとえば「郊外」という場所が
ありますが、それ自体が私にとって魅力的です。自然と文明が、混在していて
両方があるので。また、自然環境なんかだと反応するものがありすぎるくらいです。



(※1)「祀り小屋」(2011 旧下川邸/東京都町田市相原町) 
アートグループ「小屋」による、東京都町田市の旧下川邸にて行われた展覧会。
67年、10年空き家であった場を拠点に6名の作家による作品が制作された。

(※2)マーク・ディオン (1961-)
アメリカの現代アーティスト。膨大な量の蒐集物をもとに、考古学調査や大遠征、驚異の部屋という
歴史の過程を疑似的な物語的作品に落とし込む制作を行う。

(※3)ルーチョ・フォンタナ (18991968
イタリアの20世紀、戦後美術を代表する作家。建築や彫刻を学んだのち「空間主義」と呼ばれる
抽象芸術を制作する。「空間概念」シリーズはキャンバスを切り裂き、絵画を描画されるものから
空間構造を持つもとして提示したもの。

(※4)もの派
日本の60年代後半から70年代に現れた一美術動向。木や石など本来素材である「もの」をほとんど
加工せずに画廊や屋外で提示することにより、人間と物質との関係性を再構築する運動といわれた。
代表作家に菅木志雄、李禹煥など


第2回「人間、自然、文明ー制作の根底にあるもの」は
明日更新いたします。
どうぞお楽しみに。