今回は宮澤さんが陶芸家の道を選んだ理由、大黒屋のエピソードをお聞きしました。
―陶芸家になろうと思った理由は何でしょう?お父さんの宮澤章さんは陶芸家ですが
影響はありましたか?
きっかけはたぶんたくさんあるんですが、おそらく高校生の時に自分で履修を選ばなくちゃいけなくなったときに、自分の個性を知らなければいけなくて。
自分は何が好きなんだろうと考えた時に焼き物や物を作ることが好きで、父親の細工場を見に行った時父親の仕事が楽しそうに見えたというのが理由にあると思います。
自分は何が好きなんだろうと考えた時に焼き物や物を作ることが好きで、父親の細工場を見に行った時父親の仕事が楽しそうに見えたというのが理由にあると思います。
―高校になるまでお父さんと制作したりはしていなかったのでしょうか
一緒に作ったというのはなかったですね。小学校の低学年のときとかに遊び道具として、粘土ちょうだいって勝手に作ったっていうのはありましたけど。
でも高校の美術部にも入って、そのとき鋳金に触れたんです。その軽くない重さというか、時間のかかる泥臭さにすごく惹かれた。絵を描くのも好きでしたけれどもスケッチブックにさらさらって描くようなものではなくて、1個のプロセスにずっと付き合っていくっていうことが好きで。
でも高校の美術部にも入って、そのとき鋳金に触れたんです。その軽くない重さというか、時間のかかる泥臭さにすごく惹かれた。絵を描くのも好きでしたけれどもスケッチブックにさらさらって描くようなものではなくて、1個のプロセスにずっと付き合っていくっていうことが好きで。
大学受験の際に製作した鋳金の作品「カバのペーパーウェイト」と陶器の作品「象嵌花器」
だから大学には陶芸と鋳金と半々で入りました。その時は父も協力してくれて、その時にはじめて一緒に焼き物作りましたね。ただ、その時は鋳金の方が多かった。
でも、やっぱり鋳金をやって、年にそうそうつくれないんです。次から次へと作りたいものが出てくるわけですが、もう間に合わない!土の良さは触れたらすぐに反応がでるっていうところにありますよね。
―大学を卒業してからすぐ6月に個展をされていますね。卒業してすぐに作家として
活動できる土壌があったのでしょうか
活動できる土壌があったのでしょうか
父宮澤章と同じ作業場にて
そうですね、父親がやっていて制作場があるというのが一番大きかったですね。
ただ、その時僕もやっぱり考えが甘くて、帰ってきて父親と一緒にやろうって頼ろうとしていたんですね。4月に卒業して、最初の個展を6月にスムーズにできたわけは学生のころに自分でギャラリーに営業に行っていたからで。
なぜかというと焼き物で食べていきたい、ならまず発表しなくちゃいけない。じゃあ、営業行こうと。その中で飛び込みでいったあるギャラリーで作品のファイルをすごく親切に見ていろいろ話してくださったとき、「きみ、この若さでこのクオリティをつくることができるのはすごいと思う。でも、たぶん身内が陶芸家かなんかでしょ」と言われたんです。はいそうですと。「じゃあ、もう少しいろんな世界を見てきてね」と言われた覚えがあります。
―その時はどのような作品を制作していたんですか?
大学の卒業制作「重なる器」
その時は父の技法(※1)そのままにやっていました。削って、手びねりで、焼いて、釉薬を付けて、はがしていって、という。その時の自分には合っていて、すごくすんなりと入って行けたんだと思います。この人は一体何を見ているんだろうと、父親の見ていた世界に興味があったというのが今思うとあったと思います。
アンディ・ウォーホールみたいななんだかわからない世界に興味があったというのと
同じで。それを知るためにそれを確認作業としてやっていたという気質もあったのかもしれませんね。
同じで。それを知るためにそれを確認作業としてやっていたという気質もあったのかもしれませんね。
営業に行っていた時もその作品で、そのうちの1軒で発表させていただけた。そのうち陶ISM(※2)という益子のネットワークにもご紹介いただいて、いろいろな作家さんと知り合ったりギャラリーさんと知り合って。そのあと花いけバトル(※3)みたいなイベントがあるから出してみないかと。
その時の参加者は本当にそうそうたるメンバーの方たちで。今思うとすごい方々にかかわらせてもらったんだなって。結局はこの仕事でいろいろなきっかけをつくらせてもらったと思います。
―挫折はない?
挫折はほぼなかったですね。うまくいきすぎてこわいくらいで。それこそ学生の時に県内の初めて出した公募展で大賞をもらったり立て続けに工芸展の賞をいただいて。最年少でというのもあって、調子に乗っていたのもあると思います(笑)。
―そのあと1度大黒屋で働くことになりますが、大黒屋にで会うきっかけになったのは
何でしょう
何でしょう
2011年父宮澤章さんの個展に際して自宅前で
父親が大黒屋で僕が帰ってきてすぐその年くらいに展覧会をやったんです。
その手伝いに行った時に声をかけてきていただいて社長といろいろお話をしたのがきっかけです。僕は、その時大黒屋についてはよくわかっていなかったんですが、父親の話ではずっと聞いていて。栃木県で信頼するギャラリーの1つが大黒屋だと。だから大黒屋はすごいところだっていうのが初めから頭にあって。
その手伝いに行った時に声をかけてきていただいて社長といろいろお話をしたのがきっかけです。僕は、その時大黒屋についてはよくわかっていなかったんですが、父親の話ではずっと聞いていて。栃木県で信頼するギャラリーの1つが大黒屋だと。だから大黒屋はすごいところだっていうのが初めから頭にあって。
そのときも、僕は作品を見てもらいたいと思っていたんですが社員にならないかと全然違うアプローチがあったのでびっくりしました。
― 個展を開催したり、ある程度作家活動を始めていた途中で大黒屋に就職することに
決めたのはなぜでしょう
決定的になったのは震災です。自分のやってきた、つくったものがあっという間に壊れて。その瞬間に焼き物ではやっていけないかもしれないっていうのがバッと目の前にきたんです。企業で働いているサラリーマンの方たちとかは支援にいったりとか、世の中が動いているのに、自分は自分で精いっぱいになっている。
そんな中、陶ISMの被災地支援で器を集めて持って行ったんです。けれども100%喜んでいただけるわけではなかった。とても静かなもので、町にいて器をひろげていても、見に来る人って数名パラパラとかで。僕はどこかでいろんな方がきてありがとうってもらっていってくれるものだと思っていたんですけど。そういうわけではない。
あと、自分で自分の作品を持っていけなかったっていうのもあります。いろんな作家さんが集めた器を持って行って、十分自分が作れていないのに、僕は何をしているんだろうって。自分の置かれている状況と周りの雰囲気のギャップを感じたという。
あと、自分で自分の作品を持っていけなかったっていうのもあります。いろんな作家さんが集めた器を持って行って、十分自分が作れていないのに、僕は何をしているんだろうって。自分の置かれている状況と周りの雰囲気のギャップを感じたという。
また、自分が作っていたのは花いけバトルの大きい花器であったり、手びねりって時間がかかるんですが喜ばれるのは日常に使う器だったりとかして。そこでもまた距離を感じたし。あれ、僕何のために器つくっているんだろうって。なんか悶々としてわかんなくなっちゃったんです。
その時に大黒屋に声をかけていただいて。ずっと小さいころから高校も大学も焼き物やったら褒められるという状況で、離れたことがなかったんです。だから自分の中ではっきりと僕は焼き物がやりたいというその気持ちを持たなくちゃいけない。自分がこう焼き物から離れたときに、きちんと焼き物を選べるかというのがありました。
震災がなかったら、どうでしょうね。ただやはり自分のやっていることはそのまま父のやっていることなのですこし不安には思っていて。ありのままっていうかストレートすぎるから、どこかで自分の仕事見つけなきゃとは思っていたんです。なんかこう、ふわふわしていましたね。
―大黒屋で得た一番大きいものは何でしょう
大黒屋勤務中、毎月恒例のお餅つきにて
関係性の美しさ。それまではどこかで自己主張のあるものだったんです。こんなのをつくったんですよ!どうですと。そういうことではなくて客体として盛られる側でもちゃんと引き立てている。
また現代アートは使わない無用の用の中でも関係性を持てるという事もすごいと思った。その中で今まで自分が作ろうとしていたものは「このもの」という「点」だけだったのが、点同士が線でつながり、線と線がつながって面になり、それが全体の空気感をつくっているということに気づいたんです。
目には見えないけどすごくその目に見えなかった部分を意識することができるようになったっていう事は大きいことでしたね。大黒屋のどこにいてもそれは感じて、その部門だけでなくいつも流動的に動いていながらも連携しあっていて、常に関係性がある。四季折々の自然との関係性もそうでしたし。
目には見えないけどすごくその目に見えなかった部分を意識することができるようになったっていう事は大きいことでしたね。大黒屋のどこにいてもそれは感じて、その部門だけでなくいつも流動的に動いていながらも連携しあっていて、常に関係性がある。四季折々の自然との関係性もそうでしたし。
また、作家さんの酒器とかを持っていくと、これで飲むと美味しいねとか。そういうことを直接感じられたのは、嬉しかったですね。個展の時そういう話を聞くことはあっても、リアリティがないんです。だから器もあまり意識なくこういうものだろうとつくっていたんですが、そこで実感が生まれましたね。
―宮澤さんの現在の器のめざすところである「空っぽであること」というのはまさに
大黒屋で見つけたことですか
はい、まさに。埋めなくてもいいんだ、空っぽでいいんだということ。ただ、その空っぽをつくるということは退職してから1年間やっていますがとても難しい。頭の中で思っていたんですけど、いざ土でやるとやっぱり土をしらないとできないんです。
そして雑味というのは粒子の粗さだけではなくいろいろなところにある。かかわりながらも消していくという距離感が難しい。自分がありながら自分を消していく難しさをもうすこしうまく作っていけたらと思います。
ただ、つくったものもまだ未完成で。なぜかってまだ人に触れられていない。だからまたそういったところでもやりとりしながら、この先研鑽を積んでいけたらいいなと思っています。
(※1)積化象嵌
陶芸家宮澤章独自の制作方法。手びねりで積み上げた作品を釉薬をかけて焼成した後、それをはがして削る技法。
新しく創作されたものでありながら時間を感じさせる作品ができる。
(※2)陶ISM
陶芸を通して作家・企業・オーディエンスをつなぐネットワーク。益子に限らず日本全国多くの陶芸家が登録している。
(※3)花いけバトル
「バトラー」と呼ばれる花をいけるパフォーマー(華道家)が観客の目の前で制限時間以内で花をいけるイベント。
器による陶芸家の参加を含め、音楽など多様なアーティストが参加する。
明日は第3回を掲載いたします。