2018年10月27日土曜日

第187回 音を楽しむ会

10月の音を楽しむ会は森田真生さんによる数学の演奏会が開かれました。昨年に引き続き2回目のご出演です。数学の言葉による表現を白板に書きながらお話をしていただきました。


大きな綱は短い糸が寄り集まってできているように数学も古代ギリシャ、中世、近代、中国、南米など様々な時代と場所のものが寄り集まってできており、日本の数学は明治時代に入ってきたヨーロッパの数学が元になっているそうです。

バスケットボールに夢中になっていた中・高時代に強くなるために武術家の方に江戸時代の体の使い方を教えてもらい、そこから身体を使って変容していく大きな世界とひとつになっていくことを学んだそうです。


帝釈天の網の話では、網の結節点にある宝珠は相互に照らし合って輝き、世界が円環になって論理的に説明できない全体の様相を表しているといいます。そして網を切ると樹の構造になって原因と結果が分かるようになり論理的説明と時間の概念ができるそうです。


「reason」とは「理由を説明できることが理性を持った証」の意で、語源の「ratio」は「比」という意味です。比べること、例えば単位(時間や距離)を決めて相対的に物事を決めること、これは網をちぎって物事を筋道立てて考えるということ、すなわち世界の一部を理解するということ。対して大きな網とは論理的に分からないが身体を使ってこの世界と一つになり感じるものだといいます。
一部と全体のお話が森田さんが一貫して伝えたいテーマであることを実感しました。一部を知って全体を感じること、全体を感じながら一部を知ること、理性と感性という人間が持っている両方が大事なんだということを伝えたいのだなと思いました。


数学者岡潔についてのお話では、目に見えない、耳で聞こえないものでも関心を集め続けると姿形を帯びてくる、心の内側と外側を感じることができ、また「情緒」という言葉の「情」とは「大きな自他を越えて通い合う心(全体)」で「緒」とは「情の糸口、具体的な個々人の心(一部)」だといいます。


人工言語、人工知能、人工生命についての話では、人工言語がコンピュータの基となる考え方で、人工知能は規則に従って働くもの、そして最新の人工生命とは流れに寄り添うもの。人工生命はmessyでnoisyな(=散らかっていて騒々しい)環境に対応できるものだそうで、大きな世界の変容に寄り添う考え方が海外でも増えてきているといいます。


「無常」という言葉がありますが、人生の中で自分の予想はなかなか当たらないもの。
「現実は予測不可能な出来事がたくさんあってmessyでnoisyなもの、遊び心を持った距離感で変わりゆく社会に接することで人間は豊かで幸せに生きることができるのではないでしょうか」と最後にお話をしていただきました。
全体と一部、社会と組織、世界と自分、大きなものの感じ方と部分的な考え方双方を大切にすること、人生を楽しく考えながら生きる方法を教えてもらったように感じた数学の演奏会でした。


次回の音を楽しむ会は11月26日(月)、ソプラノの西田真以さんです。
どうぞお楽しみに!